メモリアル視点でのあれこれ

私はうたプリのメモリアル視点でのプリンスの感情がわかるのがうたプリゲームをしていて大好きなわけですが、一方でやっぱり春歌ちゃん(主人公)視点での心情も好きだなと思います。

最近は音也くん視点での強すぎる責め(この漢字で合っているのか……?)が多かったな、と今書いている音春の話であらためて思います。

こう、お互いの気持ちがバランスよく見えている音春というかプリ春が好きなのかもしれないなとか、書いてて今思ってます。

あー、春歌ちゃんも、しっかり音也くん好きなんだな、とか、音也くんやっぱり彼女のこと大好きじゃんか~って思ったりとか。

私は性癖が激しく歪んでいるらしいので最近書いている音春がすべてままならねえ話ばかりで、書きながら号泣する変態なので、こう振り切って色々書きたかったり、してしまいます。

というのも、毎回同じパターンの導入すぎて、書いてる自分が飽きてしまうところがあるので、こういうパターンだったら彼らはどうするだろう? ということを考えてあれこれシャニライ軸だったり、1000%2000%マジレボマジレジェ軸だったり色々と考えてしまうわけですが妄想の域をそれは出ません。

まあ全部妄想なんですけど。妄想すべてを成立させています。妄想するしか楽しみがない変態で誠に申し訳ない。

おそらく、一方だけの気持ち、主人公側からの視点のみで見るだけではうたプリって見えないところがあるんですよね。

乙女ゲームって結構シナリオがつよつよで、一本のテーマや全員をクリアすることによって見えてくる真実や答えというのが用意されていたりして、恋愛要素もあるけれど、本筋はミステリーだったりする作品もあったりとか、全員に課せられている裏テーマなどが用意されていて、単純にADVゲームとしての出来が本当に良いと思ってます。

ただ脳死で誰かが誰かを好きになるのではなく、誰かを好きになるっていうことへの意味みたいなもの、学園であれば青春の中でふとした瞬間に気づく愛のようなもの、とか、青臭くてもそれは確かに愛であり、恋だったと言えるような、ゲームとして表現されているだけで、十分文学的であり、楽しめる深みというものがあります。

うたプリについては全員アイドルを目指しているという共通項であるわけですが、それぞれの物語として独立して描かれている部分もあるので、ゲームとアニメで見せている彼らの姿の両面を楽しめるというのは特異的なところなのだろうなと思います。

なんだかんだといいながら、結局ゲームで魅せられた彼らの人生における恋愛、誰かを愛するために変わっていく夢との関わり方、成長、挫折、流した涙の意味や苦しんだ経緯、みたいなものをうたプリは過度に描いたことで批判的な評価は受けつつも、そうしたものを避けずにきちんと描き切っているところが私は好きです。

これだけ続編続編続編でその先を描けと期待される乙女ゲームというのは中々ないのではないでしょうか。

正直ASASも色々と期待しすぎて、これがすべての答えだーーーという感じで受け取ってしまって妄想ENDみたいになったところがあるので、Dolce Vitaを食らったら、私はきっとうたプリにおける妄想をやめてしまうと思うし、正直もうやめたい辞めたいと思いながらなぜか書いてる病気状態なので、自分自身何がしたいのかはもうよくわかっていません。

彼らがあの時、あの頃、何を考えていたのだろうという部分を補うメモリアル視点があることで、楽しめる部分が本当にたくさんあるなあと日々思いつつ、そんなことを考えながら、こんなのはいけない……と思いながら、私個人は身勝手に書くのでした。

まあドラマCDがあんなエッチなんだから仕方ないと言い訳をしながら……。

こっちのサイトにのせる話というのはきっと自分の中で「こうはならんやろ……」みたいな人を選ぶ話ばかりになりそうなのに、載せていこうと思ったのは、まあこういうのを考えている頭のおかしい人がいるという自己紹介みたいなものなのかもしれません。

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