「……抱きしめていい?」
「待って……待ってください」
「え、なんですっごい笑ってるの?」
そんなクォーツタイトルマッチのことを、あの時と同じようなセリフを今となっては甘く囁かれたはずなのに思い出してしまって、私はソファに置いてあった小さなクッションに顔を押し付けながらクスクスと笑ってしまった。
あの時と同じようなセリフ、を言ってくれたはずの根地先輩は「何よ何なのよぉ」と慌てている。
一方の私はあの時の楽しかった出来事を残らず思い出そうとしたけれど、そういえば、と思い出したというよりも今初めて気づいた、というようにその事実を根地先輩に確認する。
「……根地先輩が一時期、抱きしめてもいいか? って聞いてたのを思い出してたんですけど」
「んん!? あーそういう時もあったなぁ。てかそれ思い出してたの? 笑うとこあるそれぇ?
「あれって……。私がそういう、人と距離が近くなると身体が硬くなっていたのを知っていた、からやっていたんです、よね……」
思えば、あの時期はちょうど冬公演がはじまる時期で……。
ヨモギ売りであるチッチを演じなければいけない私は、誰かしらといつもよりも距離が近い状態で演じていかなければいけなかった。
その度に自分自身、身体が硬く反応するのをわかっていたし、それをどのように解消させればいいのか日々悩んでいた時期でもあったのだ。
「んーどうだろね。僕ってば単純に立花くんを抱きしめてみたいって思ってただけのよーな気もする」
「またまた」
「言ったじゃない? 君の才能に形があれば、僕は力の限り抱きしめて離さないだろうね! ってさ」
「でもそれは才能、ですよ」
今はどう思われてるか、知らないですけど、と思って頬を膨らませて不満そうにすると、根地先輩はすぐに「才能ごと今の君を抱きしめたいってそう思ってるよ」とまっすぐに伝えてくれた。
ちょっとイジけていた自分が恥ずかしくなって、「もぉ、すぐそういうこと言うんですから」と素直になれない言葉を続けていると、根地先輩はもう一度私にたずねてくる。
「もう抱きしめてるだけじゃ足りないな。君を抱いていい?」
「ええっ!?」
「立花くんって好きな人いる?」
「……なんですか、その質問っ……」
「いるの? いないの? はい、か、いいえ、で答えてよ」
「はい……」
すぐに「はい」と答えた私に嬉しそうに、根地先輩は妖しく笑う。
「それは誰か言える?」
「……、それは……」
「うん」
「黒門、さんです……」
よくできました、というように、根地先輩……、黒門さんは私の額に優しくキスをしてくれる。
キスされた額をちょっと触れて、彼がいっていた「抱いていい?」のセリフが印象的に残っていた私は、その次の彼、の動きが待てなくて焦れったい目線を送ってしまう。
「すごいね、目だけで全部持ってかれそう……、こんなの舞台でやられたらどれだけの人が理性を保ったままいられるんだか」
僕なら今すぐ君を無茶苦茶にするね、とその手が慣れた手付きで首元のボタンを手早く外していく。
「君をもっと好きになっていい?」
一つ一つを確認していくそのすべてが少しだけ人を好きになるということにまだ臆病さを残した彼なりの表現の一つなのかもしれないと、こんな風に尋ねられる度にそう感じる。
好きになることで何かが変わっていくのを畏れていたし、実際に変わってしまったからこそ驚くことばかりだったのだろうけれど、確認される度に、どんどん好きになってもらえてると思うし、むずかゆくてどこか嬉しかった。
「はい」
私がそれに答えていく度に、目の前の彼は嬉しそうに微笑む。優しくて温かい。
どうしてもごまかしたくなっちゃうんだ、なんていっていた彼が私に向けてありったけの愛をくれようとする。
額、鼻先、頬……、唇に優しくキスをされて、それから首筋に音を立ててキスをされる度に「跡ついちゃいます」と抗議するのだけれど、「いいじゃない」と取り合ってくれない。
「今、ユニヴェールにいて困ってることはない?」
「……、上手くいってますけど……ひとつだけ……」
「何か不安なことがあるなら言ってごらん」
「やっぱり、根地先輩がいないと寂しいです」
ふふ、こればっかりはなぁ、と自分で困っていることはない? と聞いておきながら解決策が浮かばず申し訳ないと根地先輩は笑った。
そうだ、僕も年齢偽って精一杯めかしこんで、バレないように再入学して一年生として立花くんにしごかれにいくのはどうだろう!? これでバレなかったら僕もう天才だよね、といつにないテンションでよいことを考えたというように提案されるけれど、根地先輩ほどキャラクターが濃い方は一発でバレますよ、と伝えると、「そんなあ!」と根地先輩は泣いた。
「本当に困ってることはない?」
泣いていたような素振りをしていたはずなのに、いつの間にかその表情は真剣で、どきりとする。
どちらも本当の根地先輩だとわかってはいても、こうまで二面性に長けているとどちらに向き合っているのか自分すらもわからなくなる。彼はやはり天才の脚本家であり、演出家であり、そして役者でもあるのだ。
「今はその……続き、してくれなくて、ちょっと困ってます」
「あぁ。それは困ったね。君を困らせるのは一体誰なんだろうね?」
「もぉ……」
わかってますよね、と私が目だけで訴えると、根地先輩の優しい視線が返ってくる。
「君を悲しませるものが何もないならいいんだ。もしあるんだとしたら、何も見ないで、聞かないで、ただ今は僕見てほしい」
ああ、色んな台詞や情景を、物語を綴るためにいつもは発揮されるべきものが、私にむけてたくさん紡がれていく。
用意された台詞ではなく、普段要求される即興劇と同じように私たちはその瞬間の愛を言葉に乗せて形づくっていく。
「君を抱いていい?」
もう一度尋ねられたその問いに私は小さく頷いた。

たかさか
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