新しいドラマの撮影が始まり、皆さんそれぞれの役作りをするのにあたって個人でも、たまに二人でも練習することが増えました。
今回は翔くんと四ノ宮さんが主演でも、一緒に出演する予定の一ノ瀬さんは今回の役どころに少々難儀していたようで、台本を見ては、いつものように涼しい顔というよりも、難しい表情が増えていたのでした。
「一ノ瀬さん」
「ああ。君ですか」
「少しむずかしい顔をしてらっしゃったので……その、気になって。すみません、気が散ってしまいましたよね」
「いいえ。別に。少し、台本を読み込み過ぎてましたね。せっかくの時間なのに、これではいけないですね」
ふう、と台本を閉じて、机に置く。「コーヒー、お飲みになるかな、と」私がその隣に、コーヒーカップを置くと、気が利きますね、と嬉しそうに一ノ瀬さんは微笑んでくれた。
「後少ししたら、現場入りですからね。淹れてもらったコーヒーをもらってから出るとしましょうか」
「あ、私も今日、撮影場所の近くで打ち合わせなんです。その……えーと、出来たら……」
「何でしょう?」
ううう、……もし、大丈夫であれば、帰りに現場に寄って、待ち合わせて、一緒に、帰りませんか、というセリフは一生懸命さっき練習したはずなのに、目の前に一ノ瀬さんがいるというだけでその言葉がまったく出てこない。
でもいつも、一ノ瀬さんは私が何を言おうとしているのかわかっている様子で、余裕を持った笑みで私の言葉を待ってくれている。
「えと、あの、でき、出来たら……」
「出来たら?」
「帰りに、私も撮影場所まで寄って……その一緒に帰ってもよいでしょうか……?」
「ダメです」
「えっ」
「冗談です。本当はダメです、といいたいところですが」
うっ、勇気を出してかけた言葉を鋭くはねのける一ノ瀬さんの言葉が痛い。冗談です、って言うけれど、一ノ瀬さんの冗談は時々本当に冗談に聞こえないし、それにやっぱり冗談じゃない様子。
「とくに用事もなく現場までこられてしまったら色々勘ぐられてしまいます。四ノ宮さんや翔、音也なので大丈夫だとは思いますが彼ら以外にも大勢のスタッフがいますから」
「……うう、たしかに。その通りです」
二人がお付き合いしていることは、隠さなければなりません、それは何度も一ノ瀬さんから伝えられてきたこと。
でも最近ずっと忙しい一ノ瀬さんと会うには今日みたいに新曲の打ち合わせだったり、わずかな隙を見つけて、時間を作るしかない。一ノ瀬さんはやはり忙しいからこそ、そういった時間作りという目的でのお誘いはないし、本人がそういう心づもりなのに会いたいなんですなんて甘え、伝えられない。
「……とはいえ、最近は会う時間も少ないですからね。他の三人に会うのもいい刺激になると思います。君が見学にくることは伝えておきますから」
「で、では行っても大丈夫でしょうか?」
「いいですよ。ただし」
「は、はい」
「あまり私のことを意識しすぎないように。わかりましたか?」
「はい! き、気をつけます……」
意識しすぎないように……意識、意識? ええっと、それはつまり、あまり一ノ瀬さんの方を見たり、声をかけたり、妙に馴れ馴れしくしたりしないようにってことでしょうか。
……でも、付き合ってからも別にそこまで馴れ馴れしくできているわけではないし。自分で言っていて悲しいけれど、一ノ瀬さんが心配するようなことは全くなさそう……寂しいけれど。
「ときに。気になることがあるんですが」
「えっ。何でしょう?」
「私のことを呼ぶときの名前が、戻っていませんか」
「……? 名前が? 一ノ瀬さん、ですよね」
「いえ。周りを見渡してみてください」
言われるがままに、くる、くる、と周りを見る。誰もいない。ここは寮の、私の部屋だ。新曲の打ち合わせをするためにピアノがある私の部屋で二人で曲を作っていた……ので、二人しかこの場にいない。
「誰もいませんが……」
「いないなら、別に。気にすることはないでしょう?」
ほら、と一ノ瀬さんが促すようにするけれど、何のことかわからず、一ノ瀬さんは一ノ瀬さんですよ、と私が微笑みながら言うと、う、と珍しく不満げな表情をした一ノ瀬さんが、「そうではなくて」と更に続けて、「春歌」と名前を呼ぶ。
「はい」、と私が答えると、さらに続けて「私が君を名前で呼ぶのは、……今だけですよ」と、(滅多にないことです)と顔に書いてあるような表情で言うものだから、あっ、と私は気づいて、もしかして名前で呼んで欲しいのかな、とようやく気づく。
「ト、トキヤくん」
「……、はい、……」
「トキヤくん、」
「ちょっと待ってください」
「えっ」
トキヤくんが、顔を伏せて、やがて片手で顔を覆ってしまった。え、え、これから仕事なのに具合が悪いのかなと心配になってその表情をのぞきこむと、思った以上に近づいた距離で、お互いを見つめるような形となってしまい、引くに引けないと思ったたったの一秒の間に、トキヤくんの唇が、自分の唇に触れる。
「ん」
びっくりして無意識に引き気味になる私に追いつくようにして、トキヤくんがさらに唇を求めてくる。
「まだ慣れませんか?」
唇が離れてから、くすり、と少し意地悪そうな顔で笑うトキヤくんに「は、恥ずかしいんです……」と絞りだすような声で言うと、「そんな春歌がたまらなく愛しい。……こういう表情は私だけ見せてください」と耳元で囁かれる。
「トキヤくんにしか見せません」
「よろしい。守ってくださいね。さて、話しているうちに時間です。そこまで一緒に行きますか」
「い、いいんですか?」
「タクシーを使えば人目を避けられるでしょう」
支度をしてください、と自身はすでに書類類は鞄にしまった様子で、タクシーの手配のために電話をしはじめる。自分も仕事にいく準備はしていたとはいえ、あっという間に話をすすめるトキヤくんのペースについていくのに必死でどたばたした様子で現地入りすることになってしまった。

たかさか
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