そうして大浴場の前に二人でやってきたけれど、そういえば誰か一緒に示し合わせて風呂に来るということはなかったなと音也は気づく。
トキヤと一緒に暮らしていた時には、彼と一緒に大浴場に行くという機会はあまりなかったし、たまたま入浴時間が被ったメンバー同士で他愛のない会話をしながら過ごすという時間が多かったから、誰かと一緒にお風呂に行くのは音也にとってはじめてのことだった。
「俺、風呂入るの早いんだよね。春歌は?」
「わたしは長いかも……。実はお風呂にはいってるといろんなメロディが浮かぶんです。それを拾い集めてると、どんどん遅くなるというか……」
「あぁ! 俺も歌とか歌うよ、風呂で歌うと気持ちいいんだよねっ」
今日は夜遅いから歌わないけど……と以前に騒音公害男とトキヤに言われた時のことをハッと思い出した音也は春歌にもそう思われないようにと我慢できると決意を見せる。
「大浴場だと、たくさん人がいて怒られちゃうかもだから、二人だけでお風呂に入ったら俺の歌、聞いてみてよ。ちょっと違うなって春歌も思うと思うんだ」
うんうんと音也が自身の考えを一人でまとめていると、二人でお風呂に? と春歌がその部分が気になるというように繰り返した。
音也にしてみればなんとなく流れで言ってしまったことを、春歌は想像したことを振り払うように早口で叫んだ。
「わ、わたし1時間くらいで出るので! もし音也くんが出てもいなかったら先にお部屋に戻っててください!」
「え? 俺、春歌のこといつまでも待ってるけど」
「か、髪とかも乾かさないと……時間がかかると思う」
「俺の部屋でやればいいじゃんー。手伝うよ?」
だからそういうのは全然気にしなくていいからと音也が言い切るのを見て、「わわわかりました」と頷くと春歌は慌てて女湯と案内が掲示されている看板に従ってそちらへと小走りで逃げるように去っていってしまった。
(なんか俺、変なこといったかな……)
言ったんだろうな。
彼女の反応を見ていると、音也にとっては何てことないことでも彼女にとっては驚くことばかり、というのがどうも多いらしい。
彼女の反応を目の当たりにして初めてとんでもないことを言ったのかもしれないと音也は気づくけれど、そうしてとんでもないことを言っていて、衝撃的な反応を見せることはあってもちゃんと受け入れてくれているのがなんとなくわかる。
まいっか、とにかくお風呂だと音也も大浴場の男湯の方へと足を踏み入れた。
大浴場が解放されている時間帯の終わりの間際だったせいか、音也一人しかいない。
最近は忙しすぎて部屋のシャワーでサッと髪を洗って身体を流して、そして眠るというルーティーンになっていたから、湯船に浸かるひさしぶりの機会になったのはよかったかもと一人でこの大浴場を独占できるのにワクワクした。
(これならお風呂で泳げちゃうかも。前に皆でロケでお風呂いったときに泳いだらトキヤにやめてくださいって怒られたんだよな)
かといって一人でバシャバシャ泳ぐのも、なんか気が引けるなと音也はひとまずいつも通りに髪を洗って身体を洗って、一通りすませてから湯船に浸かることにした。
今までは賑わっている大浴場で誰かと会話しながら入ったことしかなかったから、一通り見回しても自分しかいないこの状況に、少し落ち着かない。
もっと昔だったのなら、もう少し前の自分だったのなら、大勢でいたはずの場所に一人取り残されるとなんともいえない気分になっていたのだろうなと思う。
それが今こうして一人しかいないのか、と現実を受け入れることが出来ている。
それはきっと、この場に一人だったとしても、一緒にきているあの子がいるからで……。
「きゃっ」
おそらく壁を隔てて隣にある女湯の方から春歌の声がしたのに気づいて「春歌っ!? 大丈夫!?」と湯船から立ち上がって声をかけると、春歌の方から「大丈夫です」「石鹸落としたらつるつるすべって走って行っちゃった」という報告が返ってきて音也はほっとしつつも、石鹸を追いかけてる春歌のことを想像したらそれは愉快なシーンだろうなと笑ってしまった。
あ、でもお風呂だからその、服は着てないのか……想像……だめだ、服を着ていない春歌のことは全然想像できない。
だって俺、ちゃんと見たことがないから! と握りこぶしを作って音也が一人悲しんでいると「音也くんは大丈夫ですか」と春歌から声かけが飛んできた。
「うん。大丈夫だよー、俺は……平気。もしかして春歌も一人?」
「はい。やっぱり入浴時間がギリギリなのと、学生寮と違ってこちらはそもそも利用する人が少ないらしいんです」
なので、こうやってお話しても他の人には迷惑にはならないと思いますと声が返ってきて、なるほどよかったよかった! と音也はほっとしながら、じゃあせっかくだしお話しようよと壁ごしの彼女に向かって話しかける。
「お話っ……お、お風呂に入ってこうやって話すのはドキドキしますね……」
「たしかに顔も見えないからなぁー……」
君と一つ屋根の下。壁で隔てられてはいるけれど、この向こうには……俺と同じように、お風呂に入ってる春歌が……いるわけで……。
ドキドキしますと言葉で言われたら音也もドキドキしながら、つい想像してしまう。
想像してるってことが悟られるのも恥ずかしい! というように音也は矢継早に春歌に「仕事は順調っ?」「夕飯何食べたっ?」とガンガン話題を変えながらマシンガンのように話しかけ続ける。
話題が変わるたびに盛り上がるけれど、随分と話し込んだところで「おおお音也くん、わたし、そろそろのぼせてきましたので~……」と脱力したような春歌の声が大浴場に響いた。
「のぼせちゃった!? 大変だ! 俺、すぐ出るから待ってて!」
「え」
バシャバシャという水音、それにパタパタと走っていくような音、ガラッと開いてバタンと閉じる音。
そのすべての音と音を繋げていくだけで、音也がどこへ向かっているのか、なんとなく想像がついてしまう。
こうして姿が見えなくても、色んな物音や彼の声だけで色々と想像できてしまうんだなあ……とのぼせはじめて茹だっている頭でのんびりとそんなことを春歌も考えつつも、自分もそろそろお風呂から出なくては動けなくなってしまうと、のそのそと動きはじめた。
「春歌っ……は、いないか!」
大浴場を出てすぐに設けられている小さな待合所にいると思い込んでいたけれど、自分の方が明らかに早かったというのを認識していなかった音也はようやく冷静になってあたりを見回す。
最後に聞いた春歌の声は、ちょっと元気がなかったな。ふらふらしてそうな感じだった……。
(お、お風呂で倒れてたりしたらどうしよう……)
のぼせてしまいそうって言ってたし、しばらく待っても春歌が出てこないのなら……様子を見に行った方が、いいよね?
今、女湯の方には彼女しかいないってことはわかってるし……。で、でも、だとして女湯に様子を見に行くのはやばいよな……でも春歌に何かあったらもっと大変だ……どうしよう……と真剣に悩み続けていたところで、ふわっと頭に何かが乗せられたのが音也にはわかった。
「音也くん。髪の毛、すごく濡れてます」
「……は、春歌っ! だだだ、だいじょ、わぷっ」
「ちゃんと髪の毛を乾かさないと、風邪を引いちゃうので……」
ごしごしごしごしっと普段のぼんやりとしている春歌の動きからは考えられないようなしっかりとした動きに「うわっおわっ」といった驚きの声しか音也からは出てこない。
「わー、びっくりしたぁ! 何かと思った」
もぉやめてよ〜と首を左右に振ってタオルから逃れようとする音也の動きに合わせて春歌も負けじとタオルをつかって必死に水気を拭き取ろうとする。
「音也くん、髪の毛すっごく濡れてるんですってば……!」
「だからぁこういうのは、こうすればすぐ乾くって!」
ぶるぶるぶるぶるっと勢いよく音也が頭を振ると、少しは春歌が拭き取ってはいたものの拭き取れきれなかった水分が水しぶきとなって、彼の近くにいる、主に春歌に降りかかる。
「わっ、音也くん、水しぶき~……」
「春歌も濡れちゃったね。はいタオル!」
どうぞーっと音也が首からかけていたスポーツタオルを今度は春歌の頭に乗せてから、お返しだーといわんばかりにいたずらっ子の表情で音也が彼女の髪をごしごしと拭きあげる。
「わわわ、わたしはそこまで濡れてないのでぇ……!」
「そっかなあ、春歌も濡れてると思うけど」
「も、もう音也くん……」
髪の毛ぐしゃぐしゃです……と春歌は不満げにしながら手首に巻き付けていたヘアゴムを口で巻き取ると、音也のせいで乱れた髪をまとめあげた。
「……」
その一連の動作を見てからピクリともしなくなったのが心配になって「音也くん?」と春歌が名前を呼んで確認すると、音也は少したじろいだ様子で「春歌の髪型が変わっちゃった……」とそんなことを口にする。
「あ、ボサボサになってるところをあまり見られたくなかったので……」
「やっ! いや、うん、いつもと違う髪型の春歌、すごくいいっ。……す、すごく……すっごく……その、すごく、似合ってる……! かわいい……」
だんだんと声が小さくなって、さっきまでまっすぐ目を見て話していたはずの音也が恥ずかしそうに目を伏せて何度も似合ってる、かわいいというものだから、春歌も恥ずかしくなってきて「ありありありがとうございます……」と小さくお礼を言ってから俯いてしまった。
「そうだ春歌。のぼせてたりしない? 早く水分……そうだ、アイスとか身体冷やすもの食べよう!」
「のぼせては……ううん……」
自分の顔の火照りは湯上がりだけが原因じゃないとなんとなく春歌も気づいていた。
自身の頬を撫でてみて、熱を帯びている理由を考える。先ほどまでのやりとりもそうだし、今日一日の出来事もそうだ。
普段なら出来ないような体験をしていて、このまま二人で一緒に彼の部屋に戻るのだと思うと、それもまた胸が高鳴ってドキドキするのがわかってしまう。
早く戻ろうと不安そうにする音也と自然と手を繋ぐ。
自分の手はお風呂あがりで温かいと思っていたけれど、彼の手はもっと温かい。行こう行こうと急かしてくる彼の焦りに飛び乗りながら、帰り道を辿っていった。

たかさか
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