音也が仕事に向かった後、春歌は事務所に向かって本来予定していた仕事の打ち合わせと、さらに部屋の状況報告を受ける。
部屋の窓の修理が終わるまで、まだ1週間ほどはかかるという事務所からの話があって、1週間も音也くんにお世話になるわけにはいきません……と2~3日の間に、他にお世話になれる場所はないかなあと春歌は考え込む。
このままお世話になるだけじゃさすがに申し訳ない。
せめて何か自分にできることは……と掃除、洗濯、料理などの家事全般はやるとして、次に考えて浮かんだのは音也くんは冷凍庫にアイスがないことにすごくがっかりしていたから、たくさんアイスを買っておこうと春歌はアイスを買いだめすることにした。
……アイスだけで泊めていただこうというのはさすがにアレかもとは思うものの、とにかく音也くんが喜ぶことやお礼になることをしたいと思ってすぐに浮かんだのがアイスで(すぐなくなっちゃうと悲しそうだったから、たくさんあった方がいいですよね)と気づけばアイスを山盛り買うことになってしまった。
こんなにアイスを買ってしまってどうしようと寮までの帰り道を歩いていると「春歌」と彼女の名前を呼ぶ人がいる。
「音也くんっ」
「今日は現場から直帰でさ! 春歌も今帰り? ねえ、見てみて俺っ、さっきそこでたっくさんアイス買ってきたー!」
今すぐ君に見せたいものがあると音也が広げた袋の中には春歌が先程買って見覚えがあるものばかりのアイスの銘柄。
「……あの、大変申し上げにくいのですが……」
「ん!」
ごそごそと、春歌も手にしていた袋を広げて見せるのに音也は自然とその中身を吸い寄せられるように見てから、音也は大きな声を出して無邪気に笑った。
「待って、面白すぎる。俺と同じアイスばっかり春歌、買ってる!」
「音也くんがいつも食べてるアイスをたくさん買っておこうと思って」
「俺も春歌と一緒に食べたくってたっくさん買ってきたんだよ、すごすぎる、アイス被った」
こんな風に被るってことあるの? と音也は笑顔で首を傾げてすぐに一人で「あるんだろうなあ、実際に被ってるんだもんなあ」と納得して本当に嬉しそうだ。
「これからも、春歌と一緒に住んでたらさ、お互い欲しいものが一緒になっちゃって、色々被っちゃったりするのかもね」
それにこうやって帰り道が一緒になって、同じ場所に一緒に帰れるのってすごくいいよね、それも同じ部屋だよと音也はふふふーといつになく上機嫌だ。
「なんかすごく、楽しいな。俺、もしかしたら、ずっとこうしたいって思ってたのかも」
あまりにも楽しそうにしている音也にホッとはするものの、迷惑ばかりかけてはいられないという気持ちも春歌にはある。
「部屋の窓を修理するのには、まだ一週間ほどかかるみたいで……」
「一週間? じゃああと一週間しか春歌は俺の部屋にいないの?」
「い、一週間も、だよ。こんな長い間、泊まらせていただくには……」
「でもさー、俺んちの冷凍庫にめちゃくちゃアイス増えるわけだし。増やした人にやっぱ責任取ってもらわないと」
「?」
「だからさ、アイスがある分だけ泊まっていって欲しいっていうか……」
「こんなにたくさん買っちゃったから、毎日食べても一週間じゃ減らないかも……」
「うん。それに俺、減ったらまた増やすし」
「え」
「? なんでどーしてって顔をするの? 俺、春歌に帰って欲しくないからアイス増やすんだよ」
いたずらっぽく笑ってから音也は春歌に訴えかけるような眼差しを送る。
「春歌がアイス食べたら帰りますっていうなら、俺はまたアイス買ってきて、まだあるよーって言うんだ」
それで、一緒に食べようねって誘うんだよと音也は微笑む。
「それではいつまでたっても音也くんの部屋にお世話になってしまうことに……!」
彼女が遠慮深い性格をしていることを音也は知っている。
それでも恋人としての付き合いを続けていくうちに、お互いに彼氏彼女として、段々と気を許してくれていっている気がした。
だから困っている時には遠慮なく甘えてほしかったのに、彼女は中々無遠慮に寄りかかろうとはしてくれない。
今だって彼女にとっては十分ピンチな出来事のはずだ。部屋の窓が粉々に割られていつもの環境で満足に作曲ができない。泊まる場所にも困っている時に彼氏の……部屋に泊まらせてもらおうっていうのは、やっぱり、男女としては気恥ずかしいことなのかもしれないなーとぼんやりと考え込んでいるうちに、二人で今一緒に過ごしている自身の部屋に戻ってきたことに音也は気付いた。
(もっと自然に一緒にいれるようになりたいな)
そんな考え事を続けながら、二人で買ってきたアイスで空っぽになっていた冷凍庫を満たすと、なぜかホッとした。
隙間なく物がぎゅうぎゅうと詰められているとどことなく安心する。どこかに隙間が空いてしまっていたのなら、そこから綻んでいずれ崩れていってしまうのではないかという恐れを音也は感じていたのかもしれない。
(でもこのアイスも、春歌と一緒に食べていったらいずれ無くなって……)
「音也くん」
(そしたら春歌は、俺んちから出て行っちゃって。あ、いや、窓が直ったら帰っちゃうだろうけど……)
「……音也くん?」
(今日みたいに一緒に帰ろう? って二人で同じ部屋に帰るんじゃなくて、また別々の場所に帰るのか……)
「音也くんっ」
「……うお! あ、ごめん、ぼーっとしてた」
「この2つのアイスは冷凍庫に収まりきらないので、もう食べちゃおう? 溶けちゃいますから早く早く」
スプーンを準備して、早く食べましょうと春歌に促されて音也はそうだね、そうしようと彼女の提案に頷いて二人で雑談をしながらアイスを食べた。
それからお互いに最近の仕事の近況を報告し合う。
今度の収録で活躍できれば、音也が出たがっていた例のスポーツバラエティ番組にはレギュラー出演できるようになるかもしれない、といった話だったり、グループとしての音楽活動に、ソロ活動もあったりとここのところのアイドルとしての仕事は増えて目まぐるしい。
春歌も作曲家としての仕事は順調で、シャイニング事務所内のアイドルへの曲提供だけでなく、CM、ドラマ、バラエティ……次には映画の劇伴の話も入るかもしれないと話は膨らむ。
お風呂に入って今日はもう休もうと予定を話し合う。
いまだに給湯器は壊れていて、修理までの目処は経っていない。
今日も人気のないシャイニング事務所の大浴場に二人で通って、二人で部屋に戻って来る。
お風呂あがりの彼女の姿は昨日も見たはずなのに、全然慣れない。
毎日見てれば、これがいつもの春歌だって日常の一つになっていくのだろうか、と彼女の横顔を盗み見ながらそんなことを音也は考えたけれど、彼の視線に気付いた春歌が「どうしましたか?」と小首を傾げるようにして振り向いて尋ねる。
「春歌、きれいだなーって」
「えっ」
「可愛いなーって」
「ええっ」
「好きだなあって」
「……ああああの」
「そう思っちゃったんだよね。抱きしめていい?」
気持ちを言葉にしていたら、すごく抱きしめたくなってきたと距離を詰める音也に対して、手にしていたポーチを押し付けて「おおおおとやくん、ここは廊下です」と春歌から静止されて「じゃあ部屋に戻ったら抱きしめていい?」と二人の間を阻む春歌のポーチごしに音也が囁く。
「……部屋に戻ったら……」
「部屋には二人しかいないなら、大丈夫だよね?」
「……うん……」
「じゃあ今は手をぎゅーってするだけでガマン」
春歌の手をぎゅっと確かめるように音也は握りしめる。
とても柔らかくて、すべすべしていて、いつもよりも温かい。
それはお風呂あがりだからなのか、先程までのやりとりでのぼせていたからかわからないけれど、彼女の熱を確かめるように音也は何度も握りしめた。
「よおし、帰ってきた! じゃあただいまって抱きしめさせて~~!」
玄関の扉を締めてすぐに、音也は自分よりも一回り小さい彼女を包み込むように抱きしめる。
ふわふわして、シャンプーの匂いなのか石鹸の香りなのかわからない、お互いお風呂上がりだからこそ感じ取れる清潔感のようなものに包みこまれるようにしながら抱きしめあった。
ぎゅーっと抱きしめ合ってから互いの身体を離す。すると自然と目と目が合う。
そのまま顔と顔が近づいて、吸い込まれるように唇同士が触れ合った。
そりゃあこれだけ近ければキスしちゃうよね、と音也は今の雰囲気に飲まれそうになる。
立ちっぱなしで抱きしめ合ってキスをして、少し疲れてそうな彼女の小さな手首を引いて、ベッドルームに無言のまま連れ込んで、そのままベッドの上へと彼女のことを押し倒して覆いかぶさっていく。
風呂あがりのいい匂いに、高揚する気分、いつになく積極的なキスを続けていく。
「あっ……」
唇だけじゃなくて、首筋に吸い付くようにキスをすると、彼女から熱のこもった声が漏れ聞こえてきて、たまらなく興奮した。
(だめだ、俺……)
彼女の服の下に手をいれて、直接、肌に触れていく。
(だめだ、俺、すっごく春歌のこと好きかも……)
なんかよくわからないけれど、とにかく好きだとそればかりを思う。好きすぎて頭がおかしくなりそうだ。
そして、その気持ちは素直に性欲として現れて、彼女の柔らかな肢体すべてを掌でまさぐっては本能で必死に性感帯を探そうとしてしまう。
「お、音也くん……」
少し不安そうな春歌の声で、はっと音也は気づく。
だから、こういうことを今の雰囲気のままでしちゃっていいのかって悩んでたのに気がついたらいつもこうだ。
「このままじゃ春歌のことメチャクチャにしちゃいそう……」
自分自身もどうしたらいいのかわからなくて、涙は出てこないのに感情がいっぱいいっぱいになって泣きそうな声で音也が訴えかけると、春歌のてのひらが音也の頬に優しく触れた。
「音也くん……なんだか辛そうです」
「辛そう?」
「うん。無理にわたしのことをメチャクチャにしなくても大丈夫ですから」
「へっ。無理してまで春歌のことをメチャクチャにしようなんて思ってないし!」
「音也くんがメチャクチャにしたいなと思ったらしてくれて大丈夫です」
「いやいやいや……」
なにそれーと思って音也は苦笑いする。春歌はいっつもそうだ。どこかがちょーっとズレてる。メチャクチャにしちゃいそうなんて物騒な事を言う彼氏に対して危機感がない。
でも、その危機感がないことがいつか音也が感じていた春歌にとって気を許してくれているってことなのかもしれないなんて思う。
だって思うんだ、彼女が誰に対しても「メチャクチャにしたいなと思ったらしてくれていい」なんて言うはずもないなんていう、どこか自分にだけ許してくれていることがあるんじゃないかって。
「はー……」
急に理性が舞い戻ってくる。こうやって危うい状況のまま突っ走ってしまうかもって時に、彼女はいつだって欲しい言葉をくれる。
「……音也くん」
「んー……?」
ベッドの上で自分に覆いかぶさる音也のことに対して、春歌は不思議そうな眼差しを向けている。
「……今夜はメチャクチャにしませんか?」
「……えっ? あぁうん、今夜はメチャクチャはなし」
「そっか」
うん、と音也の答えを聞いて春歌がほっとした表情を見せたのに音也は気付いた。
覆いかぶさっていくために自然に握りしめていた彼女の手首から強張りが解けていくのがわかる。
そっか、やっぱり緊張させていたんだね、と急に申し訳なくなって、音也は彼女の前髪をかき分けてから小さな額に向けてチュッと音を立てるようにキスを落とした。
「ごめんね、びっくりさせちゃったね」
「あの、ううん、大丈夫です。だって、その、一緒にいたら、そういうことになるかもって」
わたしだって何も知らないわけではないんです、と春歌は小さな声でぼそぼそと言う。
恋人同士なのだから、色々とすることもあるってわかってると。
そんな風に健気に決意を語る彼女のことがいじらしくて愛おしく感じる。
もう一度、今夜はしないよと伝えてから優しく何度も髪を撫でると、春歌は微睡んだ表情へと変わる。
「……おとやくんは、寝ませんか……?」
「ん? 俺?」
やっぱり興奮しちゃうと眠れないんだよね、とその理由はあえて口にせずに音也が苦笑いだけを見せると、春歌が「わたしがいると眠れない?」と不安げに尋ねる。
「いやほら、春歌と一緒にいると眠れないとかじゃなくて。前はちゃんと一緒に寝ただろ?」
ベッドで一緒に朝を初めて迎えた日。仕事に遅刻してしまって大変だったけれど、あの時は特別なことを意識せずにいられたと音也は振り返ってみてそんなことを思う。
「今はあの頃より、もっともーっと春歌のことが好きになっちゃったからさ」
自分の感情に気づく前と、気づいてからの気持ちの変化に追いつかなくなる時がある。
ああ、俺はこの子に恋をしているんだって気付いてから、君のこんなところが好きなのかも、あんなところも好きなのかも、って愛おしいと思うことばかりが増えていく。
「だからもっと好きだってことを伝えたいなあって思うんだけど……」
「音也くんの大好きはたくさん伝わってます」
「そう?」
「音也くんの歌を聞くと、すごく伝わってくるんです。自分の作った曲に、音也くんの気持ちがたくさん入り込んで、聞いてるだけでこのあたりがぽかぽかします」
「え? 何? どのあたり?」
ぽかぽかするの? なんで? あったかいってこと?
矢継早にする音也の質問に「あの、その、音也くん、触って確かめなくても」と春歌が抵抗すると「だって気になるんだもの」と音也は伸ばした手で彼女が表現した「ぽかぽか」したものを探り当てようとする。
「そんな風に触らなくても……」
こうやってぎゅって抱きしめあったらきっと伝わると思う、と春歌が音也の懐に入り込むようにしてしがみつく。
いつも抱きしめていい? 抱きしめさせて、とお願いしてばかりだったから、彼女の方からしがみついてきてくれたのが嬉しくて、自分のところにやってきてくれた春歌のことを音也はぎゅっと抱き寄せた。
もっと優しく抱きしめてあげたいと思うのに、どうしても力と熱がこもってしまう。
そんな力強さにも負けないというように身体で答えてくれる彼女の気持ちが伝わってくる。
「あぁ本当だ。抱きしめ合ってたら春歌の言う、ぽかぽかしてるの意味がわかってきた気がする」
はじめて彼女のことを抱きしめた時、今日一日が終わるまで君と一緒にいたいなんて、そんなことを願ったことを思い出す。
次に二人で夜に抱きしめあった時には、今夜だけじゃなく朝まで一緒に君と一緒にいたいって離れがたい気持ちが湧いたのを思い出す。
今はもう、終わりまで君と一緒にいたいと願ってる。
君と出会う前の自分にはもう戻れない、ここでしか生きれない。
何かを引き換えにしても、これだけは守らなくちゃって自分の腕の中で息づく命の揺れを感じながら、そんなことを考える。
気がつくと小さな寝息が聞こえてくる。
俺は眠れなくてもいいんだよ。
君が俺の腕の中で、こうして眠ってくれることの方が何百倍も嬉しくてたまらないんだ。
眠りについた彼女の頬を指先で優しく撫でてから、音也はベッドを抜け出した。
翌日に春歌が起きると、やはり隣には音也はいない。
寝室をでて階段を降りると、少し眠たそうな表情をしながらソファに座ってうつらうつらとしている彼の姿が目に入る。
やっぱり自分のせいで眠れていないのだと春歌は申し訳なくなる。急に押しかけてしまって迷惑をかけてしまっていることが申し訳なくて、今夜出ていこうと決意を固めると「春歌は今夜は打ち合わせはある?」と音也に尋ねられてしまう。
今日はずっと部屋で作曲をしていると伝えると音也は「じゃあ帰ってきたら、春歌、いるんだ」と満面の笑みを見せた。
「えっと、はい、います」
「やったー! それじゃ俺、できる限り早く帰ってくるね! 今日は家で一緒にご飯食べよう!」
「うん……。音也くん、何か食べたいものある?」
「そうだね、やっぱカレーかなー……!」
「そういえばここ最近、一緒にカレー作ってなかったね」
お互いに忙しくて夕食はそれぞれ済ませることが多くなっていたこともあったから、一緒にご飯を食べようって誘ってくれたのかもと思うと、春歌も嬉しくなってきた。
「やっぱり一週間のうち必ず一回はカレーの日がないとね」
うんうんと音也は頷いてから、慣れた様子であくびを噛み殺してから「元気でてきたから仕事いってくるー」と普段から身につけているボディバッグや帽子を手にとって身支度を整えてからすぐに玄関に向かう。
そして玄関前で振り向いて「カレー超楽しみっ」と笑ってから行ってきますと手を振って出ていく。
その姿を見送りながら、春歌は(あぁっ。またしても音也くんに迷惑かけてしまう)と思いつつもカレーの材料を買いに行かなければと買い物の準備を始めた。

たかさか
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