本当はとっても心配なのに、その場にいることすら申し訳なくて病室を飛び出すようにして抜け出してしまったことを春歌は後悔していた。
音也の怪我はどうなのか、本人からちゃんと聞いてできる限りのことをしてあげるべきなのに、自分がその場にいることがいたたまれないからと逃げ出すなんてどうかしてる。
そう思い直して、もう一度ちゃんとごめんなさいって謝ろうと春歌が病室に戻ろうとすると、廊下まで聞き覚えのある声が響き渡ってきた。
「怪我は大したことがないようだな、何よりだ」
最初こそほっとしたような声かけであったのに、続くシャイニング早乙女の言葉はそれこそトキヤと同じように音也の寝不足からくる体調管理不足をまたしても咎めるような内容だった。
いくらこの場には関係者しかいないとはいっても、ここまで漏れ聞こえてきてしまうのは色々と問題がありそうだと春歌にもわかる。
怪我をしたことについて普段よりも感情的になってシャイニング早乙女が叱っているのだとそれも理解できる。
そして、彼が楽しみにしていたレギュラー入りも今回のアクシデントで御蔵入りになった話も聞こえてきて、春歌自身もショックを受けた。
さらに続けて音也のことを叱り続けるシャイニング早乙女の怒声に割り入るように春歌が「わたしのせいです!」と声を荒げながら病室に戻った。
「……誰かと思えばMs.ナナミ。パートナーとしての管理不行届きの話でもしているのか」
「管理だなんて。ただ音也くんに迷惑をかけてしまったのはわたしです。わたしが彼の部屋にずっといたから……」
「YOU、Mr.イットキの部屋に?」
それはいけまセンねー、林檎サンからはお友達の部屋に泊めていただいているという話で聞いていましたが二人で一つの部屋にいるなんてそんなけしからんことをしてこうなっているのだ、とんでもないことだぞと一気にまくしてていたシャイニング早乙女の口調が途中からさらに怒気がこもるのがわかる。
「とにかく、Ms.ナナミはMr.イットキの部屋からは出ていってチョーダイ」
「嫌です」
「なに?」
春歌の拒否にシャイニング早乙女は顔をしかめた。
「わたしがご迷惑をおかけしているのは承知の上でも、怪我をしてしまった音也くんをこのまま独りにはできません。一緒にいます」
「……二人の交際は認めているが、二人でいることでこんな問題が起きるのであれば今後について認めることもできなくなるぞ」
「元はといえば、社長がわたしの部屋の窓を粉々に割ったからでは?」
「ホウ!?」
普段は従順に話を聞いて、なんでも納得するような春歌からの突然の物言いに、シャイニング早乙女の声が裏返った。
「社長がわたしの部屋の窓を粉々に割っていなければ、わたしは部屋を追い出されずに済みました。そう考えるとすべての元凶は社長にあるのでは?」
「ほほお。YOUもなかなか言うじゃありまセンか」
確かにすべての始まりはシャイニング早乙女が突然、春歌の部屋の窓を割ったことである。
言われてみればそうかもーという病室のベッドの上から音也の援護射撃を受けつつ、春歌は「絶対に音也くんの部屋からは出ません。せめて音也くんの怪我が治るまで、看病させてください」とジリジリとした様子でシャイニング早乙女に迫る。
「……認められん、さっさと部屋から出ていけ」
「嫌です、絶対に出ません」
「音也の世話をしながら作曲の仕事なんて出来るわけがないだろう。音也はこのまま入院管理させれば問題ない」
「先程、先生から聞いたお話では入院は数日で、あとはリハビリも兼ねて自宅療養がよいというお話でした」
「……そこまで言うのならば、お前が今請け負ってる仕事は決して落とさないと誓うことができるんだろうな? すでに音也のせいでいくつもの仕事に穴が空いているのだからな」
これ以上、事務所内でのごたごたは許さないと口を結んで、不機嫌そうに眉間にシワを寄せるシャイニング早乙女に向かって、春歌は「もちろんです、音也くんのお世話はもちろん、自分の仕事だって何がきても何でもやります。やらせてください」と意気込んでいる。
「何かあった時に、支えることができないパートナーではいたくありません。ただでさえ自分のせいなんです」
「むむむ……」
「ガラスを割ったのが悪いと思うなら、ここはわたしにすべて任せてください」
「……まったく……!」
それを言われると何も言えなくなるといったように、シャイニング早乙女は渋々といった様子で食い下がる春歌にようやく許可を出した。
最終的に音也は3日間の入院と1ヶ月の自宅療養が必要と判断された。
事務所では音也が出演していた番組の調整や、今後のライブ、レコーディングなどのすべてのスケジュールの再調整が行われるのだろう、シャイニング早乙女は慌ただしそうに各所からの連絡を受けつつ立ち去っていった。
シャイニング早乙女が去っていくと、病室に張り詰めていた緊張の糸のようなものが緩んでいくのがわかる。
いままでこんな風にシャイニング早乙女に食い下がったのは初めてではない。二人が付き合うという話をする時にもシャイニング早乙女は激しく反対した。
いくつもの条件を課されて、ようやく交際にこぎつけた中での再びの失敗だ。
元はといえばガラスを割ったのが原因だ、なんてくだらない言葉遊びだというのは春歌も十分理解している。
本質的なところは最初に辿っても仕方がない。彼が寝不足になってしまった原因は自分にあると痛いほど理解している。
だからまず、こんなことになってしまったことを、直接彼に謝らないといけないと春歌はようやく音也と目をあわせた。
怪我をして落ち込んでいるだろうと思っていた彼は、目をキラキラとなぜか輝かせている。
「……春歌ってすごい……」
「え? すごくないよ……」
「だって社長だよ! しかもシャイニング早乙女。めちゃくちゃ怖いじゃん。それに春歌は社長のことすごく尊敬してるし……」
「でも音也くんとのことは譲れないから」
これは恋人として、彼氏と彼女としての義務、というわけでもなんでもない。
義務でもなければ負わなければいけない責任として引き受けたわけでもない。
もちろんそうした責任は十分あったとしても、春歌にとって音也のそばにいるということは、それらすべてを通り越したとしても、ただそばにいたいと願うその気持ち一つだけだ。
足に巻かれた痛々しい包帯を見ると、まるで自分に起きた出来事のようにいたるところが痛くなる。
元気に踊って歌っていた彼が、この場所に縛り付けられていることがただ申し訳なくなる。
「音也くん、ごめんね」
ベッドのそばにある椅子へと腰かけてから、横になる彼に声をかける。
「……どーしたの、春歌。何を謝ってるの。春歌のせいじゃないって言ってるだろ」
「本当にごめんなさい」
謝罪の言葉が繰り返されるたびに、自分のことを必死に責める春歌を見ていることが音也にとっても辛くなる。
おいで、と彼女のことを自分の胸元に抱き寄せてから「そんなに落ち込まないの」と何度も撫でて励ました。
「……辛いのは音也くんなのに、こうやって音也くんに励ましてもらってるのも……」
「えー、そりゃ色んな人に迷惑かけちゃってるからさ、それは申し訳ないし、やっちゃったって思うけど……俺のことで君が落ち込むのは悲しいな」
「……音也くん」
「あっ。いや。自業自得だってわかってる、俺が自分の体調管理できなかったから……」
「音也くん」
泣いてる場合なんかじゃないのに、という言葉を春歌は続けてから、こらえきれない感情のせいなのか、自然と涙が溢れ出す。
そんな彼女を見ながら音也は考える。
なぜだろう、我慢しなくちゃと思っていた。自分が落ち込めば、相手が傷つくとわかるから。
だから必死に抑え込もうと思うのに、君があまりにもぼろぼろと自然に涙を流すから、それにつられて音也もぽろぽろと本音が溢れてくる。
「やっぱり、あの番組のレギュラーは取りたかったよね。ちっちゃい男の子から毎週出て欲しいって前に言われてさ。すっごく嬉しかったんだ。俺がいると元気になるって。だからそうしたかった。次のライブだって俺のパートはおっきな見せ場だったから色々変えなきゃだろうし、でも今は動けないし歌えない……悔しいなぁ」
「うん、うん………」
「悔しいなぁ……もっとうまく出来たと思うんだ、もちろん体調が万全じゃなかったってのはあるにしろさ……」
「うん……」
ただ悔しくて悲しい。そうした後悔を言葉にするのは無意味だと音也は思っていたけれど、彼女の前でそうした弱さを分け合っていると、自分の中で抱え込んでいた色んなものをつい吐露したくなってしまう。
きっと同じように彼女が背負い込んでる責任のようなものはトゲのように刺さったままで、いくら言葉を尽くしてもそれを抜いてあげたりすることはできないのかもしれない。
それでも、彼女と一緒にこうしてお互いの痛みを抱え込むことはできる。
「……俺、リハビリめちゃくちゃがんばって、ちゃんと皆にかっこいいとこたくさん見せたい。ライブも楽しみにしてくれた人たちがたくさんいると思うんだ。こんなことになって色んな人を悲しませたくない」
「はい。そのためのお手伝いをたくさんします。させてください」
「ありがとう。あのね、ぶっちゃけていうと、あの番組のレギュラーがいよいよ取れるかも~って時に色んなプレッシャーがかかってきてさ……俺だけの話だったら別によかったんだ。でもチーム戦になって、俺がミスったらどうしようっていうのもあって。つまり、春歌が泊まりに来る前からいつものように眠れてなかったんだよ。なんか寝付けないなぁって日が続いてて……そんな時に春歌が眠る時も一緒にいてくれるっていうから……本当はすっごく甘えたかったんだよね」
心に抱え込んでいるものすべてを吐き出して、春歌の胸に顔を寄せて、(そうだね、大丈夫だよ)ってすべてに頷いてもらいたいくらいには弱ってたと思う、とようやく言えたと音也は吐き出した。
「甘えたいのもそうだし……甘えちゃったら、俺はどこまでもきっと君に甘えちゃうから……そういうのはよくない~! っていう理性のブレーキみたいなの頭で必死に踏み込んでると、ますます眠れなくなっちゃって」
「……うん」
「でもさ、春歌に話さないまま一人で悩んでこうやって心配かけちゃって失敗しちゃったなって思う」
「うん。あの、甘えてくれて大丈夫だよ」
「……はー……だから春歌は~……あのさ、俺がしたかったこと聞いても引かない?」
泣いていたせいで、春歌の目が少しだけ赤く腫れている。その瞳を覗き込むようにしている、音也のいつものように赤い瞳をじっと見つめながら「知りたい」と春歌はたった一言、口にした。
「音也くんのことは、たくさん知りたいなって思ってます。だから教えて欲しいです」
「……うん、俺のことを春歌にたーっくさん知ってほしいっていっつも思ってる」
えへへ、と少し照れくさそうに音也は笑って、真剣に自分のことを求めるように見つめる彼女のことを見つめる。
「んー……だから、その、春歌と一緒にいて、キスしてたりすると、もっと色々としたくなっちゃうというか」
「……もっと色々……? それはキスよりすごいことですか?」
「え!? あー……そ、そうなのかな? いやキスでも十分すごいと思うけど」
動揺しながら応える音也に、あぁ、ええと、なるほど、とようやく春歌が察したように俯いた。
「俺、春歌とキスとした時に、もうこれ以上の生きることの喜びなんて知らない、いらないって感じだったんだけどさ」
大げさかもしれないけど、それくらい幸せだったんだよね、と音也ははにかむ。
最初にしたキスの感触や緊張感を飛び越えて、俺は幸せなんだって思えるあの瞬間が忘れられない。
「春歌が俺の部屋に泊まるって話になって……朝まで一緒にいれて……そしたらキスよりもーっとすごいことしたくなっちゃった」
それがどんなことなのかって前にも春歌は何も知らないわけではない、知っていると彼に伝えた通りだ。
恋人として付き合っていればそうなることもあるかもしれない。初めてのことだからどうすればいいのかわからなくても、彼とはいつだって初めてのことを一緒にやってきた。何も怖くないなんていったら嘘にはなるけれど、それでも怖さよりも信じているという気持ちが強い。
「あの、でも……でも、わたしは……一緒にいるようになってからの方が音也くんとの距離が遠く感じてました……」
「う……ごめん、必死に我慢しようとしてたせいかも」
「我慢しなくていいのに」
「え!? そういうのは簡単にいっちゃだめだよ!」
我慢しなくていいとは何事だ、と音也は彼女の解き放った一言が信じられなくて音也はついたしなめる。
「そんな簡単にオッケー出しちゃだめだよ、そーいうのはちゃんと春歌がオッケーって思った時にいいよーって言ってくれないと~……」
うんうんと一回はちゃんと断るべきだね、と大切なことはちゃんと考えて、困ったときや悩んだときは断るで大丈夫だからと音也は必死に訴える。
「でも断るのは寂しいです」
それはやだ、と滅多にわがままなことを言わない彼女が頬を膨らませながら抗議をするのを見て、音也の方が困惑してしまう。
おいで、と彼女のことを呼び寄せたのは自分の方からだったのに、いつの間にか、もっとぎゅっと抱きしめてと彼女の方から求められているのに、音也は今更になって気づく。
そっか、俺、自分ばっかりで、春歌が思ったよりも俺のことを好きなんだってこと、ちゃんとわかってあげられてなかったのかも。
俺ばっかり好き好きいって、彼女の気持ちがどれだけ自分に向けられているのか、全然わかっていなかったのかも……。
「……春歌からカレーの匂いがする……」
「あっ。これは、カレーを作っていたからで……」
「……昔ね、公園で遊んでた俺を母さんが迎えにきたときに、こんなふうに抱きしめたときがあったんだ。その時もこんなふうに、カレーの匂いがしてた」
「うん……」
なんだか懐かしいな、と音也はしばらく彼女のことをゆっくりと、しっかりと抱きしめる。懐かしい夕飯の香り。カレーの匂いに誘われてしまったら、もう家へと帰る時間だ。
「でも俺、今夜は病院なんだよね。春歌のカレー、食べれない……すごく悲しい」
「大丈夫です、また作ります。音也くん、お帰りなさいってたくさん作るから」
「お肉は?」
「ポークのおっきめのを、たくさんいれます」
「ルーは?」
「音也くんの大好きな、甘めのカレーを準備しますから。おかわりがたくさんできるようにたくさんご飯も準備するね」
「……どうしよう、お腹空いてきちゃった……」
今すぐ君の元に帰りたいと嘆くように抱きしめると、足が治ったら一緒に帰ろうねと諭されて音也は「足、もう治ったかも」と平気で嘘をつく。
「本当ですか?」
そうなんだ、と春歌が少しだけ触りますねと声をかけてから、足に巻かれた包帯の上からすぐに触れると「嘘つきました」と音也は痛みで顔を歪めた。
「無理しちゃだめです。治ってきたと思って油断するとまた悪くなっちゃうんだよ」
「えー……春歌、今日は帰っちゃう?」
「また明日、朝にお見舞いにくるよ」
「……最近ずっと春歌と一緒だったから離れるの寂しい」
「わたしもです……あっ、そうだ、これ持ってきたんです」
春歌がベッド上のテーブルに置いたのは、少し前に音也がデザインして発売したおんぷくんのぬいぐるみだった。
「これをわたしだと思って一緒に寝てください」
「……こ、これを」
なるほどね……おんぷくんのことを春歌だと思って? ま、まあいいか、彼女がそうしていいっていうのなら、と音也は「おんぷくんだよー」という表情のままでこちらを見つめる自身が生み出したキャラクターと見つめ合う。
「わたしも、こっちのおんぷくんを音也くんだと思ってぎゅってして寝ます」
おんぷくんはそんなに大きい生物ではないから、春歌がぎゅっとすると顔面がめちゃくちゃに潰れてしまう。
それでも勢いよく抱きしめている彼女の姿がどこかおかしかったから、「あはは」と、じゃあ俺もおんぷくんを抱きしめて眠るよと音也は笑った。

たかさか
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます