今夜、君に会えるかな?
仕事の話がしたいとか、そういった理由をつければいくらでも会えそうな気がする。
でも、もっと自由な気持ちで君に会いにいきたいな。
自転車を漕ぎ出すと、優しい風が髪や肌を撫ぜるたびに諦めかけていた心が、すぐに会いたい気持ちに生まれ変わる。
この風はきっと、遠くにいる君のところにも吹いてるのかもしれない。
流れて届いて俺よりも先に、君に触れるだろう風のことすら今は羨んでいる。
そんなことを考えつつも、疲れ果てた身体の重みをはねのけて、ひたすら自転車を漕ぎ続けた。
シャイニング事務所の寮について、指定されている駐輪場に自転車を預けた。
なんとなく携帯を取り出して覗き込むと、まだメッセージに既読はついていない。
じゃあやっぱ寝ちゃったんだろうな、次はいつ会えるかなと、事務所寮の自分の部屋までたどり着いて鍵を開けて玄関を開く。
「……あれっ」
……玄関に見覚えのない……いや、すごく見覚えのある靴がある。
そろそろ暖かくなってきたから季節にあわせて新しくしたんですと教えてもらった春歌の靴だ。
あれ?
返事ないし、自分の部屋に戻って、寝ちゃったんじゃなかったの?
いつも一人で帰って来ると、真っ暗だった室内に明かりがついている。
廊下にも、リビングの向こうからも明かりが漏れていて、びっくりしたのもそうだけれど、なぜか胸のあたりがぐっと詰まった。
付き合ったばかりの頃だったら「春歌きてたの!?」ってダッシュで廊下を走っていって、すぐに抱きしめたいなんて思っていたかもしれないのに、今夜の俺の足は、鉛のように重い。
「あ~…………」
急に体中から力が抜けていって、俺は玄関でしゃがみこむ。
しゃがみこんでから、綺麗に内側を向いて揃えられた彼女の靴先を眺める。
俺の部屋、真っ暗じゃない。
「あー…………」
どうしよう全然言葉にならない。ちょっとよくわかんない。でも、想像以上に嬉しかったんじゃないのかってちらちらと彼女の靴を視界にいれてはニヤけそうになる表情を抑えて座り込んでいると、「あれ……! もしかして音也くん……!」とリビングの扉がゆっくりと開いて、遠くからでも誰かわかる彼女のシルエットが映り込んできて俺はあまりの嬉しさに「ただいま」って声をかけてしまった。
「おかえりなさい!」
春歌は少し歩けばすぐにたどり着くリビングから玄関までの廊下を慌てるように小走りで進んでくる。
そして俺がしゃがみこんでいることに気づいてなのか、すぐに同じ視線に合わせるようにしゃがみこんでくれた。
「音也くん、どどどうしましたか。お、お腹痛いとか? そうだ、今日は料理番組の出演でしたねっ。食べすぎてしまったとか……」
「え? いや、全然、お腹はむしろ空いてるし。しゃがみこんでたのはその、なんでもないっていうか」
あまりにも心配そうな眼差しで見つめるから、平気だって! ということをアピールするために立ち上がろうとするけれど、これが驚きだ。まったく足に力が入らなくなって、立ち上がれない。
「……春歌」
「はい」
「どうしよう。なんか立ち上がれないかも」
「ええええ!」
俺よりも驚いた表情を浮かべた春歌を見て、なんか安心した。心配そうな彼女の表情を見て安心するってどういうことだって思うかもしれないけれど、俺のことを心配してくれてるのか〜って思うと、なんかホッとするというか。
「ど、どうしよう。足が痛いとかでしょうか?」
「ううん、足は全然……なんか力入んなくて動けないっていうか……」
「ここここ困りましたね」
「……ごめんなんか、急なんだけど」
「はいっ」
「春歌にぎゅってしてもらったら、元気がでるかもしれない……」
「え」
「いやごめん俺、何言ってんだって感じだよね忘れて」
相手が本当に心配そうにしているというのに、俺は一体何を口にしてるんだって自分自身にびっくりした。
なんだかとても心配そうに見てくれているのを見て、甘えたくなっちゃったというか……。
「じゃ、じゃあ抱っこする?」
「??? だだだだ、抱っこ?」
「はい。立ち上がれないんですよね。音也くんにぎゅって抱きしめてもらって……そのままわたしに体重を預けていただければ抱っこします」
「待って。春歌に抱っこされる俺、全然想像できない!」
どどどどどういうこと?
一時的に脱力してるだけだと思うから、時間おけば立ち上がれると思うと楽観的でいたけど春歌はもうすごく心配そうに、抱っこして連れていきますとそのつもりでいるようだった。
「とにかく。ぎゅってするには……音也くん、手を広げられる?」
俺と同じ視線としゃがみこんだ春歌が両手を広げて、こんなふうにと促している。
……どういうこと? 全然意味がわからない。頭の中では冷静で、春歌が俺のことを抱っこして運べるなんて思えない。
「うう……」
男としてのよくわからないプライドと、そういうものすべてを投げ捨てて彼女の胸の中に飛び込んでいきたい欲望がぶつかりあっている。
どうしようどうしようと戸惑う瞳で視線をどこにやればいいか困っているうちに彼女と目があって、春歌がニコって笑ってくれた時点でもう俺はすべてを諦めた。
「……ぎゅってして」
「はいっ。ぎゅってするね」
部屋の玄関で、二人で向き合ってしゃがみこみながらぎこちなく抱きしめ合う。俺たちは一体何をやっているのだろう……。
「春歌、いいにおいする……」
「そ、そうかな……香水とかつけてないですけど」
春歌の匂いをこれでもか〜とすんすん嗅いでいるうちに重大な事実に気づいて俺は春歌の胸から飛び跳ねるように距離を置いた。
「あっ! 俺、唐揚げの匂いとかしてない!? 今日番組で食べたの唐揚げだったの!」
もちろん匂いがついたかと思って着替えもして歯磨きもすべて完璧にしてあがってきたけど、唐突に不安になって聞いてみた。
「? 音也くんからはいつもの音也くんの匂いがするよ」
「そ、そっかよかった……ごめん、もう一回」
「はい」
どうぞ、と促されてもう一度彼女の胸のあたりに顔を埋める。……抱っこしてくれるっていったけど、俺が抱っこされるくらいに子供だったのなら、彼女は俺のすべてを抱きしめて、さみしくないよと全部忘れさせてくれたんだろうか。
そんなことを考えながらもぞもぞしていると、彼女の手が優しく俺の背中を撫でてくれた。
別にどこか痛いわけでも、泣いてるわけでもないのに、優しく何度も何度も撫でては、大丈夫だよってそれを何度も温もりだけで教えてくれる。
やがて、さすがにしゃがみこんだままでいるのは姿勢が辛くなってきたのか、俺があまりにも体重をかけすぎたせいなのか、バランスを崩した春歌が倒れこんでしまって、覆いかぶさるようになってしまった。
「……ご、ごめんっ……」
「い、いえ……音也くんはどうですか? 立ち上がれそうですか?」
「うん。なんか元気になってきた」
自分で言っておきながらヘンな意味に聞こえたらなんかイヤだ! と思って春歌を見ると「よかった!」と心から喜んでくれていた。でも心配だからと俺の手を取ってくれて、一緒にこっちまで歩きましょうと部屋の中で手を繋いで移動を二人ではじめる。
(やー……そんなに心配してくれないでも……いやでも、嬉しいけどー……)
全く力が入らなかった下半身も、ようやく我を取り戻したかのように自分の身体の一部だという認識が戻ってきた気がする。
本当に脱力するってことあるんだな。なんか嬉しさのあまりっていうか、安心しすぎて身体がだらってなっちゃった。
……なんだかんだでどれもミスしちゃいけない重要な仕事だって思うから、知らずしらずに身体が緊張してたのかも。
会えないかも、って思い込んだ時に、会えるんだって彼女の靴だけをみてそんなことを思ってしまったから、力が入っていた全部が抜けきった、そんな感じだったのだと思う。

たかさか
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