チョコレートというべきものを渡すのは、渋谷友千香にとっては単なる気まぐれだ。
とくにこの赤毛の男は、チョコレートのお菓子をよく好んで食べていたから、バレンタインデーにかこつけて去年気まぐれであげてしまったのがどうにもよくなかったらしい。
同じテレビ番組のゲストに呼ばれ、友千香と音也の二人で楽屋に待機している時のわかりやすさといったらありゃしない。
チラチラと友千香の方を見ては、声をかけてみよっかなという様子を見せては諦めて、音也が小さなため息をついているのが友千香には鼻につく。
「あのさ、あんたさ、さっきからどーいうわけ」
「えぇっ?」
台本で表情を隠して目線だけを送っていたはずなのにバレたのかというように狼狽える音也にも構わずいつもの調子で友千香は食いかかる。
「あんたってさあ、本っ当にわかりやすいのよ。昔っからそう! 落ち込んだ時は落ち込んでいます~って感じで落ち込むし、気になることがあったら隠そうとして隠せないまま、身体中からソワッソワッしたような音が出てさ」
「……俺、なんもしゃべってなかったけど、もしかして、うるさかった?」
「うるさいっつーか、うざい」
「う、うざい……!」
「去年はくれたのに~今年はもらえないのかな~みたいな態度がう・ざ・い」
「うっ!」
なんでわかるの!? とまたしてもあからさまに表情を一変させた音也に(やっぱ図星じゃん)と友千香はうんざりする。
去年うっかり音也を餌づけてしまったがために、今年ももらえるんじゃないかと期待させてしまったのは悪かったとは思っているけれど。
「あたしがさ、チョコあげたのは気まぐれなわけよ。たまたまあの時期においしいって評判のチョコレートのお菓子があったから差し入れに持ってったわけ」
「うん」
「それをバレンタインデーだなんだーっていうイベントに消化させてさ」
「でも、義理だっていうのはすごく念押しされたよね」
「勘違いされたら困るじゃない」
「まぁ友千香はいっつも俺たちのことは恋愛対象外っていってるし……」
だから今更、勘違いするってことはないと思う……と言いつつも少し自信なさげに目を伏せつつ、もしかして、といったように音也が気づいたような表情で顔をあげて友千香のことを見る。
「ホワイトデーのお返しにあげたやつ気に入らなかった?」
もらったらもらいっぱなしかと思いきや、きちんとお返しとしてホワイトデーにクッキーを持ってきた音也のことをふと思い出して(あれは美味しかったわ)と表情だけで友千香が頷くとそっか、よかった~と音也もホッと胸を撫で下ろす。
そうした応酬の合間にコンコンと楽屋の扉がノックされて、はい! と友千香が反応すると、少しだけ扉をあけた先に、今回出演予定の番組のプロデューサーが気まずそうにこちらを見ていた。
「今、大丈夫かな? 一十木くんと少し打ち合わせがしたくってさ……」
先ほどまで音也のことを叱っていた友千香に、音也のことを借りていいかというような目配せをするプロデューサーにどうぞと友千香が応じる。
音也自身はなになになんの話~~と懇意にしているプロデューサーが相手だからなのかじゃれつく犬のようにプロデューサーと一緒に楽屋を出ていった。
音也とプロデューサーがでていってすぐに、またしてもコンコンと扉が叩かれる。
今日は来客が多いわねぇと友千香が「どうぞ」と入室を促す。
「トモちゃん……」
どこかおどおどした声を聞いて、友千香がぱっと顔をあげる。
「春歌! 今日こっちで仕事だったのっ」
「うん。トモちゃんのお名前が楽屋にあるのを見て……事務所のスタッフさんから今は待機時間だってきいて」
だから挨拶しにきたの、と微笑む春歌を友千香はついついぎゅうーっと抱きしめてから「そっかそっかあ今日は迷わずにこれたのね」と小動物を可愛がるように春歌のことを撫で回す。
友千香の胸元で抱きしめられている七海春歌は、別の会議室で打ち合わせがあってきていたらしい。
このところはお互いに忙しく、中々時間を作って会うという機会が少なくなっていただけに、偶然であっても春歌と出会えたことが本当に嬉しいというように友千香は微笑む。
「そういえばさ、少し前にいったカフェあるじゃない? あそこに春歌が好きそうなケーキの新作が出てたんだ! 今度一緒にいこ」
「そうなの? そういえば前にトモちゃんが紹介してくれたお店がすごくよくって」
こっちに座りなよと促されて、春歌と友千香と二人で机を挟んで向かい合わせに座りながら、許された時間の中でお互いの近況報告を交えながら様々な話題へと飛び移っていく。
尽きぬ話に花を咲かせていたけれど、そうだ、と本題があるんですというように春歌は手にしていた手提げの紙袋から綺麗にラッピングされた箱を取り出した。
「あれ。これ……」
「えへへ。ハッピーバレンタインです、トモちゃん」
友千香は春歌のその言葉と一緒に渡された箱の正体に気づいて微笑む。
「あら。あらあら。やったー! まさか春歌からもらえるなんて思ってなかったわ。ごめんね、今日会えると思ってなかったから何もなくって」
「いつもトモちゃんにはお世話になってるので……あとこれ、ご、ごごめんね、既製品じゃなくて自分で作ったお菓子なんだけど」
「あっ、そうなの? せっかくだし今開けてみてもいい?」
「うん。ちょっと照れるね」
本当に照れくさそうにする春歌のことを見て、友千香の胸がキュンと高鳴るのがわかった。
春歌のことを見ていると、あぁ女の子だなぁと当たり前のことを当たり前のように思うことがある。
もし、春歌とパートナーを組めるのだったら、パートナーになりたかったなと今でも友千香はそのことを考える。
結局春歌は、誰か一人とパートナーとなることは選ばずに、アイドルグループの作曲家として活動を続けているわけだけれど、このコを相手に全員よくやってるわと感心してしまう。
(こんな風に照れて、笑って……でも、音楽とアイドルに対して向ける情熱は誰にも負けないっていう強さがあって。そら惚れるわ。おまけにチョコなんてもらった日にはさ……)
「あら、これブラウニー?」
「うん。初めて作ってたんだけど、上手に出来たから」
ストレートにチョコレート的なものを作るのかと思ったら、どちらかといえばお菓子に近いものだったので珍しいなと思った。
友千香にとって春歌は何かを始める時には教科書通りに動くタイプのコだと思っていた。
気づけば想像しないような発想もすることもあるけれど、初めてというのならオーソドックスなものを作ると思っていたけれど、ブラウニーを選んだのには何か理由があったのだろうか。
一つ食べてみてもいい? と友千香が春歌に確認をとった瞬間に「たっだいまー!」と楽屋の扉をばんっと開く男がいる。
扉からの大きな音に驚いて春歌が振り向くと、戻ってきたよといわんばかりの様子だった音也が「あれ! 七海だー!」と無邪気な声をあげた。
そうしてすぐに近づこうとするところを、友千香が遮るようにして立ってからしっしっとするように追い払う。
「いま女子トークしてるから音也はちょっとあっちいってて」
「ひでぇ」
「ご、ごめんね一十木くん。すぐに出ていくから」
「七海、もう行っちゃうの? ねえねえ、それ、なあに?」
二人の間にある、開封されたばかりと思われる箱の中身を興味深そうに音也が覗き込んでから「あー、これブラウニーじゃない!?」と嬉しそうな声をあげた。
「俺、ブラウニーすっごく大好きなんだよね」
「あっ……うん……知ってます……」
音也の反応を見て、慌てた様子から段々と処理ができなくなってきたというように声が萎れていく春歌に、友千香は(あー)となんとなく理解してしまいそうな気になった。
「これ春歌があたしにってくれたものなのよ」
「? 七海が友千香に? プレゼント? お土産? 差し入れ?」
「バレンタインデーのプレゼントに決まってるじゃない」
何いってんのよと友千香から、恐るべき事実をつきつけられて「な、七海から……バレンタインデーのプレゼントォ……!?」と音也は後ずさりながらその衝撃に声が震えているのがよくわかった。
そ、そういうのもあるのかと音也が衝撃を受けるのには理由がある。
なにしろバレンタインデーというものに対して、あげたもらったという話題があがればお互い気にしてしまうことがある。
とくにいつの間にか決められていた「抜け駆け禁止」なんていう暗黙上のルールのようなものがあるせいで、そうしたイベントごとには無意識に触れないようにしてきたからこそ、「バレンタインデー」に「七海」が「贈り物をする」ことがあるのだという事実に衝撃を隠せなかった。
たとえ、相手が親友である渋谷友千香であったとしても、だ。
「えー……俺も七海のブラウニー食べたい……」
深く考えずに出てきたと思われる音也の言葉。口のあたりに指を当てながら、物欲しそうにする姿は青年ではなく少年のようにも見えてくる。
「だからこれは! 春歌があ・た・しにくれたものなのよ!」
音也のではありませんとあらためて全否定をする友千香に恨めしそうな表情でわかってるけどわかりたくないという複雑な感情が伝わってくる。
「一個……一個くらい、いいじゃん! ねえねえ!」
「あんたはそうやっていつも人のものをぉ……!」
再びぎゃあぎゃあと騒ぎ始める二人の間でおろおろとした様子を繰り返す春歌は、手にしていた手提げの袋と、音也を交互に何度も見た。
今年、ブラウニーを作ってみようと思ったのには理由が確かにあった。
でも初めて作るお菓子だったから何回か作ってみて、友千香にも食べてもらって感想をもらって自信がついてから、なんて考えていた。
それに、バレンタインという日に、渡してもいいのだろうかという葛藤も強かった。
楽屋の扉に張り出されている名前に、友千香と音也の名前が並んでいるのに気づいた時、ドキドキした。
今日、渡せなくなくてもいいと思っていたのに、ちゃんと渡せるように個別に包装していた事に気づいて (どどどどどうしましょう)と焦り始めた。
今日渡せなくても、きっといつか。
それが来年か、再来年か、またその次の、次の……次の、いつかになってしまうかはわからない。
もしかしたら、自分以外の誰かに毎年バレンタインデーの贈り物をもらうようになってしまうかもしれない。
今、まさにそうだけれど、友千香と春歌に対しての接し方が音也はまるで違う。
それは友千香自身の強気であり、勝ち気な性格が影響しているのはもちろんだけれど、男女隔てなく誰でも仲良くなれてしまう人なのだから、いつでも渡せると思っていたのに、渡せなくなるような関係性に変わっていくかもしれないと思うとすごく寂しく感じられた。
「一十木くん」
友千香と言い争いを続けていた音也に対して、春歌は勇気を振り絞って声をかける。
どんな風に伝えて渡せばいいのかな。
悩んで悩んでふと、友千香と目が合う。
言葉ではなく目だけで友千香から(春歌が伝えたいことを素直にそのまま言葉にすればいいよ)と促してるように聞こえて、春歌は、思い浮かんだ様々な言葉から一つだけを絞り込む。
「い、一十木くんにもブラウニーを作ってきたのでこっちをぜひ食べてみてください……」
「……?」
やっぱりそうかと友千香がふふっと笑ったのと同時に音也との言い争いはピタリと止んだ、
けれど音也自身が「?」というようにどういうことだというように静止してしまったので楽屋はとたんに静まりかえってしまった。
「いいい、一十木くんがブラウニーを好きだと……聞いたから……てててて、手作りなので、不格好かもですが」
「……あっ……あ、うん……」
手渡された箱をじっと音也は見入る。
赤を基調にリボンもついて丁寧にラッピングされている。
バレンタインデーにチョコレートをもらえることは音也にとってはどちらかといえば当たり前のことだった。
何も言わなくても誰かがくれる。アイドルになってからも事務所側が辞退のお知らせ出したとしても、おかまいなしにプレゼントを続けてくるファンの子たちもいる。
望まなくてももらえるものと思っていたけれど、普段チョコレートをくれる素振りを見せない友千香がくれた時もとても嬉しかった。
だから今年もくれたらいいなと思ってそわそわと音也は期待していたわけだけれど、肝心の彼女からは全員に対してあえて意図がこもってなさそうなお菓子類を無難にもらえることが多かったから、そういうことなんだろうなと勝手に思い込んでいたのに、今年のバレンタインデーは何だか違う。
「……七海、ありがとう。すごく嬉しい!」
「喜んでいただけてよかったです」
二人の世界が展開される楽屋内で友千香はよしよしと頷き続ける。
「はいはい、よかったわね、もし食べるなら早くしないともうすぐ出番よ」
食べたい食べたいとねだられていた友千香が食べるならさっさとしなさいと促すと音也は手のひらに乗せた箱をじーーっと眺めつつ、すごく困った表情をする。
「どうしよう……もったいなさすぎて食べれないかも……部屋に飾ろうかな……」
「何いってんのあんた?」
「だだだだって七海からもらったお菓子だよ! 食べたら、なくなっちゃうんだよ! ……ずっとずっと大切にしたいじゃん」
「できましたら衛生上の理由で本日中に食べていただけますと……!」
「そうなの? 今日中なの? ……うう……」
食べたらなくなっちゃうんだよという言葉を口にした時の音也の表情がすごく悲しげに見えたのが春歌にとって印象的だった。
もう一生もらえないかもしれない、二度と手に入らないのかもしれないなんて、大げさに聞こえるかもしれないけれど、失ってしまうということを恐れるのと同じくらいの「大切にしたい」という気持ちが音也から痛いくらいに春歌に伝わってきた。
「あの、一十木くんが、もし気に入ってくれたのなら……また、作ります」
「えっ」
「だから今日食べてしまっても大丈夫です。また新しく作るから」
「……うん。えへへ、どうしよう。すごく嬉しい。また作ってくれる?」
「あの、その、一十木くんまだ食べてないみたいだしっ、気に入ってもらえるかわからないから……」
美味しかったら言ってくださいねと念押しする春歌に、どっちでもいいよと音也は笑う。
七海がくれるものなら、なんでもいいよ。
でもきっと七海があげたいって思ってくれて作ってくれたものなんだよねってその気持ちがたまらなく嬉しくって、形としてどうしても残しておきたいのに、消してしまわなければいけないのがどこか寂しかっただけなんだとあたふたしている春歌のことを見つめる。
「さあー! 仕事だーー! 行くぞー!」
ふわふわとした空気を現実に戻すように友千香が立ち上がると、音也も「もうそんな時間!?」と慌てながら立ち上がる。
それじゃあまたね、楽屋はそのままでオッケーよといつものようにお互いに手を振って別れたけれど、友千香と音也が出ていった後の静けさと一緒に自分の心臓がバクバクと高鳴るのが聞こえて、春歌は必死にその鼓動を押さえつけた。

たかさか
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます