#2 ありふれた日々
そうして、先輩である寿嶺二からの〝特別指導〟を受けてから、数日。
何かが起きるきっかけを作ることもなく、事務所で誘うということがよくないという表面上のことだけを理解したつもりの音也は、以前よりもモヤモヤとした気持ちを抱え込んでいた。
あの日、呼び出された理由は何となく理解できたけれど、今後どうしていくかってことは自分で決めろみたいな話でよかったのかな、と嶺二の態度からそうした答えを音也は自分なりにひねり出すしかなかった。
(結局七海は、れいちゃんに、俺から誘われたら断るように言われてるってこと?)
七海のことだから、先輩である嶺二の話はきっと真に受けてるだろうし、だとしたら申し訳ないな、と誘うこと自体は考え直そう、と日々忙しくなりつつある仕事の隙間にそんなことばかりを考える。
歌にダンスに、雑誌やCMの撮影、インタビュー、テレビ番組のバラエティやドラマへの出演、ライブがはじまればその準備、新曲を出せる段階になればその打ち合わせ。
毎日が充実していて、いつの日にか願ったそうありたい自分に近づいていっている、音也はそんな気がしていた。
そうしたありふれた日々をいつものように過ごしていれば、もしかしたら、傷つくこともないかもしれない。
それなのに、やはり彼女の存在を感じてしまったら、声をかけてしまいたいと思うし、そこからいつまでも話していたいなんて願ってしまう。
結局彼女のことを「誘う」ということそのものが目的になっていたのかもしれないなあ、なんて今までの自分の行動を客観的にとらえて、音也はそう思う。
どうして、彼女のことを誘いたかったのか。
嫌われるのは嫌だな、と普段は気にもならない自分や相手の態度一つで関係が変わるかもしれないことに、なぜ悲しさや怯えを感じたのか。
この仕事をする以前の生活を振り返ってみても、音也にしてみれば男女別け隔てなく、友人関係を作ることに不自由を感じたことはなかった。
それでも、なぜか彼女のことはいつまでも特別な気持ちで見ている。
あの日に出会ってしまってから、君のことを一つ一つ知ることが増えたあの日から。
七海と一緒に話してると本当仲良いね、なんて声をかけられたりもする。
もしかしたら、からかわれているのかもしれないし、本当にそう見えているのだとしても。
彼女との関係にいたっては、それだけじゃない、それだけで終わりたくないってそんなことを思う自分がどこかにいるような気がして、それが正しい感情なのか、そう想い続けていたとしても構わないのか、それが怖くてわからなくて、いつの間にかそのことばかりを考える日々が増えていった。
とにかくだ。
誘いたかった理由をあらためて音也は考え直した。
そして、その目的だけは果たそうと仕事終わりの時間に、女の子向けの雑貨をたくさん取り扱ってそうな店へとふらり、音也はやってきた。
何か必要なものがあれば、このショッピングモールまで足を伸ばせば、何かしらが手に入る。
なんとなく店の中を歩き回った後で、目的の物が売っている場所で音也は足を止めた。
(う~ん。お花とかそういうのより、動物とかそういうモチーフが好きなのかな?)
いくつか商品を手にとってみて、手触りだったり、質感だったり、デザインを確かめてみる。
自分のものだったら「これでいいや」と雑に決めてしまうことも多いのに、どうしてか今は真剣に悩んでいる。
「う~ん、やっぱりこれかな~……」
「あれ、一十木くん?」
(う~ん……、動物だったら猫かな? あれ猫のやつだったし~……ぬお~、このハンカチふわふわだ~……ふわふわいいな~)
手の中にある、女の子向けと思われるふわふわとしたハンカチを手にしつつも瞼を閉じて、真剣に考え込む音也に向けて、ひたすら声をかけている人がいる。
「あ、あの、あの、一十木くん」
ようやくその声に気づいて目を向けると、音也がここ数日ずっと考えていた相手である七海春歌その人がいることに驚いた。
「あれっ。七海~……! じゃん。買い物?」
「うん。一十木くんは?」
「あぁそうだっ。七海はこのハンカチと、このハンカチだったらどっちが好き⁉」
話しかけて返事をしてくれたと思ったら、慌てた様子で音也が手にしていた二種類のハンカチを提示して選んでほしいというように促してくれるのを見て春歌は目を見開く。
音也が左手で持っているのは猫のモチーフが描かれたハンカチで、右手に持っているのは花の模様が描かれたハンカチだ。
「悩みますね……」
これは……と思ったよりも真剣に悩む春歌を見て、音也はそんなに? と自分でいきなり選んでと迫っておきながらそう感じた。
音也としては、この猫のモチーフのハンカチを春歌はすぐに選ぶと思っていた。
一方で自分自身が選ぶのには悩んでいたからこそ、決めて欲しいとあえてその判断を任せたつもりだったからだ。
それなのに春歌はジッとハンカチを見つめてすぐに選ぼうとはしなかった。
音也が「悩んじゃう感じ?」と聞いてみると、春歌も「はい」とすぐに頷いた。
「こっちのハンカチ……、のお花。ひまわりですよね。一十木くんが持ってくれてるから、こっちもいいなって」
「俺が持ってるから?」
「ひまわりを見ると、一十木くんのことを思い出すから」
だから、こっちの方が、と春歌が理由を口にしながらついに選んだのを聞いて、「あ……、あぁ!」と返事に躓いた。
なんてことはない、自分がよくひまわりをモチーフに選んだりするし……、だから、そういう印象から覚えてくれているってことだと思うけれど、一十木くんのことを思い出すから、なんて言われるとも思わなくて、なぜか慌ててしまった。
「じゃあ、ひまわりの方にしようかなっ。これから夏になるし、いいよね」
音也がこっちにする、とハンカチを選ぶと「うん」と春歌も微笑みながら頷いた。
「あぁ、でも猫の方も可愛い、と思いますよ」
どっちかで悩んでいるといっていた音也のことを気遣ってなのか春歌はそうしたことも付け足した。
「わたし、猫の模様はかわいいなと思って、使ったりするので」
「そうだよねー」
うん、知ってると音也は頷きながら、よしよしと二つのハンカチを手に取ると「ごめんちょっとこれ買ってくるから俺行っちゃうけど~……、七海はまだ時間ある?」と慌て気味に聞く。
「はい。打ち合わせ終わって、仕事帰りなので……」
「そっか! あの、あのさ~……」
「はい」
はっ、と今になって嶺二から言われた様々なことを音也は思い出す。
なんだっけ、声が大きすぎるんだっけ? じゃあ、と声を抑え気味にしつつ、周りに人がいないのも一生懸命に確認した。
ちょっとした時間だけならきっと大丈夫、とそれを信じて音也は勇気を出して彼女を誘う。
「そこの。カフェで、少しだけお茶飲む時間欲しいんだ。ダメかな?」
「え」
誘われている、ということに春歌が身構えたのがわかる。
彼女が果たして嶺二からどんな風に断りなさいといわれていたか、は音也は知らないけれど、できる限り今までとは違う誘い方にしてみた。
ここは、誰もが見ている場所ではないし。雑貨屋さんは閉まる間際の時間だったから、他に人はいない。
そういう時間を狙ってきている、というのもある。
誘った場所であるカフェも、よく打ち合わせで使われている場所だったから、打ち合わせがてら一緒にいたとしてもおかしくはない、はず。
それにちょっとお茶を飲むだけだ、ハードルはそんなに高くない……と思うのに、返事を聞くまでの間、心臓が壊れそうになるくらいに高鳴っているのがわかる。
ありふれた日々を抜け出すのに必要な勇気は、こんなにも心臓を揺さぶるのか。
「ええと。あの……お茶、だよね。うん」
「七海と話すの久しぶりだったから時間欲しくて……ダメかな~」
我ながら、駄々をこねる子供みたいな声が出ちゃったな、音也は気恥ずかしくなる。
実のところ同じST☆RISHというグループでやりとりをすることが多いトキヤや、翔にお願いをする時には「ダメかな~」の一言を添えれば「仕方ありませんね」「しゃあねえなあ」と音也のお願いを聞いてくれることが多かった。
だからきっと、この音也の「ダメかな~」は多少なりともおねだりをする時のキラーワードとして、本人の自覚なしに出てきてしまう言葉の一つ、なのかもしれない。
そして、この言葉を聞いて、彼の上目遣いに耐えられないのは何もトキヤと翔だけではないのが今日証明されてしまった。
「えーと……その、大丈夫、です」
そんな目で見られたら~、と困った様子なのがよくわかる春歌の表情を観察しつつも、了承が得られたその瞬間に、音也は表情をぱぁっと変えて大きな口を開いて笑顔を見せた。
「やった‼ じゃあ、そこで待ってて~! これ買ってくるっ」
よし、とあからさまにわかりやすいガッツポーズをきめてから、音也は用事を済ませようとレジに向かう。
そこで待っててといわれた場所で、春歌はできるかぎり目立たないようにと音也の帰りを待った。

たかさか
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