#4 ちいさな幸せ
暫くして、「おまたせ」と音也が春歌の元に駆け寄ってくる。
音也のことを待つ間に、本当はこうした誘いも断らなければいけなかったのかもしれないな、と嶺二とのやりとりすべてを思い出しながら春歌は考え込んでいた。
それでもあんな瞳をした彼に「ダメかな~」とねだられてしまえば無下にもできない、ああ、アイドルってすごいのかもしれない、とアイドルとしての彼をあの瞳から意識する。
先程選んだハンカチが入っているのだろう、手提げを音也が手にしているのを見て、誰へのプレゼントなのかな、とそんなこともなぜか考えてしまった。
女性向けのものだったから、女性相手のプレゼントなのだろう。真剣に悩んでいた音也の表情のことを振り返ると、それだけ考えてもらえたプレゼントを渡せてもらえたら、きっと嬉しいだろうなと胸が温かくなった。
その一方で、うらやましいなんて憧れが心の隅で生まれてしまったのは内緒にしよう、と春歌は思う。
うらやましいなんてことを口にしても、どうにもならないなんてことは、もう痛いくらいにわかっていたからだ。
お互いに初めて訪れるカフェではなかったけれど、音也と春歌の二人で、ということは今までなかった。
春歌は友千香とはよくきていたし、音也は仕事の打ち合わせで何回か事務所のメンバーとくることも多かった。
二人して何となく外からの死角になるような席の場所を知っていたのも、この店にはきたことがあるという、答え合わせになっているのだろう。
「季節のメニュー変わってたね、ホットよりもアイス向けのラインナップ増えてた」
ほら見て、と音也が季節のフルーツのアイスティーだってさ~と頼んだものを片手に席につくと、先に注文を済ませて待っていた春歌も「あ、わたしも同じのにしたよ」と嬉しそうに返した。
「やった、一緒だ。いつもはジュースとか頼んじゃうんだけどさ。お茶にしようって俺が誘ったから、お茶にした」
「あ、そういうこと」
「そう、お茶にしようって俺が誘ったから」
決して面白いことを言ってるわけではないのに、なんでも笑って話す音也を見ていると、なぜか春歌もなぜかつられて笑ってしまう。
「というか俺、一発で七海にバレたね」
帽子でしょ、メガネでしょ、と変装のために見つけていたものに触れながら、バレないようにしてたつもりなのに七海は迷わず俺の名前を呼んだよね、とそれを思い出して音也は聞く。
春歌は、それは理由があってと、音也の口元を見つめながら「声が」と続けた。
「声が?」
「一十木くん、無意識だと思うんだけど、お店で声が出てました」
「あっ。俺、喋ってた? ってこと?」
「うん。一十木くんの声だなって」
「あぁ俺の声か~」
そっかそっか、声を出してたからバレたのか、と全く気にしてなかった~、と次から気をつけようと音也が苦笑いしていると、さらに春歌は続けた。
「昔からもよく聞いてたし、なんかほっとするから、好きなんです」
「うん?」
つい、どきっとして好きという言葉を発したその唇を見てしまう。
「一十木くんの声」
だからすぐわかったよ、と笑ってくれたのを見て、「あぁ~……俺の声、俺の声ね」と音也はもう一度、早口で応じた。
春歌は好きなものの話をする時は屈託なくよく笑う。
あれがこれが、こういうところが、好きなんです、と理由もたくさん教えてくれる。
普段はあまり口数も多いコではないけれど、好きなものに関しては前のめりになって話すから、そういう好きなものの中に自分が入り込んでいて、こんな風に話してくれたのは音也にとって嬉しいことの一つだった。
きっと自分がこれから先も、アイドルとして何者かになっていくとして、それでも目の前にいるこの人は、俺のことを声を頼りに見つけてくれたりするのかもしれないとか、そうしたわけのわからないことをなぜか一瞬音也は考えながら、彼女の話に耳を澄ませた。
お互いに同じ飲み物を飲みながら「美味しいね」なんて話をしつつ、音也はそうだそうだ思い出した、とさっき買ったばかりのハンカチを手提げ袋から取り出して、「実は七海に話があってさ……」と机の上に置いた。
「話?」
「……まずはこちらをご覧ください……」
先程机に置いたハンカチの隣に、音也は自分が肩にかけていたボディバックからも、もう一枚小さいハンカチを取り出した。
春歌はそれを見た瞬間に、「あ」と声を出した。
「あの、これ、かなり前に七海から借りたハンカチなんだけど……」
そういえば、というように春歌は頷いている。
確か随分前にダンスレッスンの見学にいった時に、タオルを忘れた様子の音也に気づいて、汗を拭くのに使って下さいと春歌が手渡したハンカチだ。
頷きながらも、貸しっぱなしになっていたことについては、もうすっかり忘れていた、という様子で、そんなこともあったなぁとそのことを春歌はようやく思い出しているようだった。
「返そう返そうと思って、洗濯しなくちゃと思って乾燥機までかけたら、めちゃくちゃごわごわしてボロボロになっちゃって、なんかあと小さくなった気がする」
言われてみれば、以前よりもそのハンカチは大分小さくなったように見えた。
とはいえ、元から年季が入っていたもののはずで、洗濯と乾燥を繰り返す度に、どんどん糸がほつれていって、手触りも昔から大分変わっていっていたことを覚えている。
だからこそ、そんなに気にすることはないです、とフォローを入れようと春歌が口を開いたのと同時に音也が被さるように話しだした。
「それであのその、一番謝らなきゃと思ってんのは、ハンカチをボロボロにしたのもそうなんだけどっ。このハンカチ、名前書いてあったと思うんだ」
「名前……?」
「一ねん三くみ ななみはるかって書いてあったでしょ、ここ」
とんとん、とボロボロになってしまったハンカチの隅あたり、滲んでしまってほぼ読めなくなっている部分を音也が指さす。
その指先の動きを見て、名前のことに気づいた春歌は「あわわわわ、お恥ずかしい限り」と声をあげた。
「や。今どきハンカチに名前書いてあるコいないな~って思って覚えてて……」
「……これはその、書いてもらった名前で」
なぜ学年まで書いてあるかというと、そういうことです、と春歌が説明するとやっぱりそっかー、と音也はお揃いのアイスティーをストローで吸って飲んでから頬杖をついた。
「俺もね、昔、母さんに名前書いてもらったりしたなーって思い出してさ。大切なものを失くさないように、って」
どうせボロボロにしちゃうし、名前だってすぐに消えちゃうかもなのに、サッカーボールにも「いっときおとや」ってでっかく書いてくれたりしてたな、と昨日のことのように思い出しながら音也は優しい目をしながら語る。
小さい頃の持ち物は失くしていったりして、いつの間にか消えていってしまうのに、七海のハンカチを借りた時、今も大切にしてるんだな、ってそんなことを思ったんだよね、と机の上にあるハンカチを見ながら、しみじみと音也は続けた。
「ここに書いてあった、ななみはるかって名前も、失くしても七海のところにもどりますように、って書いてあったんだろうなって思うとさ。消しちゃったのがやっぱり申し訳なくて」
七海に借りたハンカチを見て、自分勝手にいろんなこと思い出したりしてた、と悲しそうな目で、けれどもいつものように笑おうとして歪になる音也の表情が春歌にとってはどこか印象的だった。
「でもこうして、一十木くんのおかげで、ちゃんと戻ってきたよ」
笑顔は見せてくれているのに、寂しそうな音也に向けて大丈夫だから、という言葉を繰り返しながら春歌はハンカチを手にとった。
名前だって、音也が洗濯したりする前からもう随分滲んでいたはずだ。
それでも、いつの間にか忘れかけていたことを思い出させてくれるような音也の話に、同じような懐かしさを覚えていると不意に互いの目があって、なんとなく照れくさそうに笑いあった。

たかさか
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます