ときめき

  • pixivでシリーズとして公開していた「ときめき」の再録です。

    改行がうまくいかなくて読みづらくてすみません……

    時空としてはマジLOVEシリーズ軸のマジレボ嶺二回で音也くんが春歌ちゃんが遅くに帰ってきたのをみて(むむう!?)みたいな表情で見ていたのが印象的だったので、そのときの感情のまま突き進み、知らずしらずにときめきがはみ出ている一十木音也くんが怒涛にお誘いして……な音春のお話です。
    (どんな時空)

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#16 嫌いにならないで

 彼女がなぜ泣いたのか、結局音也は本人から聞くことはできなかった。

 もしかしたら電話がくるかもしれないと考えて、すぐにでれるように携帯を握りしめていたけれど、そのまま朝を迎えたことから、何も連絡がなかったのだと音也は何となく察した。

 起きてすぐに画面を確認した時にも、やはり春歌からの着信は残っていなかったのを見て、ホッとしたような、なぜか寂しくなるような不思議な感覚に襲われた。

 メッセージもきていなかったから、春歌から音也に向けて伝えたいことは、なかったのかもしれない。

 暫くして、音也は人づてに春歌が作曲家として関わっていたアイドルグループのメンバーの一人がスキャンダルを引き起こして、歌う予定だった彼女の作曲した楽曲がお蔵入りになったという話を聞いた。

 なるほど、仕事上の揉め事があったのか。

 もしかしたら泣いていたのは、一生懸命に作った曲が歌われることがないまま、未発表曲になってしまったことが悔しかったとか、そういう理由なのかもしれない。

 あれだけ頑張って取り組んでいた作曲の仕事なんだ。それが誰にも聞かれなくなるなんて考えたら相当辛いことだろう。

 彼女の悲しみを想像すると、自分自身のことで感じる痛みよりなぜか苦しく感じられた。

 涙を流すのに胸を貸すことができたのは、少しでも役に立てた気がして嬉しかったけれど、彼女の方から連絡があったわけでもなかったし、たまたま会うことができたから彼女の異変に気づくことができただけだった。

 心も身体も、距離が近づいていっていると思っていたのに、肝心な時に頼ってもらえなかったような気がして、音也は春歌のことを考える日がますます増えた。

 一方で、忙しさの理由になっていた曲作りも、スキャンダルが原因で仕事に穴が空いたせいもあってか、時間に余裕ができたのかもしれない。

 今までのように連絡を取ってみると、春歌から返ってくる返事が、少しずついつも通りのペースに戻っていた。

 音也が「今夜、会わない?」と誘ってみると、「はい」と春歌から返事があった。このところは誘っても時間が合わないかもだったり、返事が遅くなってしまって予定が合わないことが増えていた。

 だからこそ「はい」という素直に応じてくれる返事は音也にとって嬉しかった。

 思えば雨の中、ただ傘をさしてベンチに座っていた春歌と偶然出会ったあの日以来の庭園での待ち合わせだ。

 いつも通りに落ち合って、いつも通りにお互いの近況を報告しあった。

 単独ライブの準備は順調に進んでいたけれど、曲の調整を春歌にお願いしたいところがあったから、この機会に頼み込んでみる。

 この曲を実はこういうアレンジでライブで歌ってみたくて、と相談すると春歌は音也の意図をすぐに汲んでくれて、じゃあイントロから少し先まで、ライブのために書き下ろしてみようかな……と悩ましそうにしている。

「いいね! ライブバージョンで新しく作ってもらえるならすっげぇ嬉しいかも」

「本当に? 演出面とのすり合わせも必要そうなので、いつもとちょっとテンポを変えるかもですけど、大丈夫?」

「へいきへいき、七海と俺が作った歌だもの、すぐに歌えるよ」

 何の根拠もなかったけれど、二人で作った曲だってわかっていれば歌えるさと、その自信が音也にはなぜかあった。

 任せてというように胸を叩いて誇らしげにしている音也を見て、春歌はまだ少し悩ましそうだったけれど音也の様子を見て納得したのか「じゃあ作るね」と笑った。

 さて次は何の話をしようかな? と音也が空を見上げてから、「あぁそうだ」と何かを思い出してから、春歌の方へと身体の向きを変えた。

「俺さ、明日から二週間くらいロケでいないんだ」

 急に思い出したから言っとかなくちゃと気づいたようにして話しかけてきた音也に「二週間……」と春歌は音也が不在にする期間のことを口にした。

 音也は仕事の都合で、長期にわたってロケが続いて寮に戻ってこなくなることも多い。

 ライブのために地方に行くこともあれば、今回のようにロケがあって留守にすることもある。

 それでもここ最近は二、三日で帰ってきたことに比べれば、音也の方が二週間会えないと告げることは春歌にとって想像していたよりも長い期間だったからこそ思わず口にしてしまったのかもしれない。

「そう二週間。お土産は何がいい? リクエストがあるなら探してくるよ」

「……」

 リクエストを聞かれると、春歌は暫く悩んだフリをするけれど、結局は何も言わないのを音也は知っている。

「また一十木くんが選んでくれるやつがいい、でいいの?」

「うん」

「ほんとに〜? 友千香には、あれがいいって結構リクエスト出してるらしいじゃん?」

「それは、その、トモちゃんだから」

「トモちゃんだから? 一十木くんは?」

「一十木くんには、そんなふうには、頼めないし……」

「ええっ。なんでだよ。こんなに抱きしめ合って、慰め合う仲なのに」

 そりゃないよ、と音也が落ち込むフリをすると、抱きしめ合うとか、慰め合うとか、そういう言い方はちょっと困る、なんて咎めてくる。

 まったく難しい関係だ、と音也はそれを口には出さずに心の中だけで一人で想って苦笑いした。

「今夜の七海は寂しそうだし、明日からしばらく俺いないし。久しぶりに一緒に寝る?」

「……いいの?」

「いいよいいよ。もう少し時間が経って、みんなが寝静まったかなって頃に俺の部屋に一緒にいこう」

 はい、約束と互いに小指同士を絡ませる。

 すぐにこうして約束をしたということを確かめないと、なぜかそれが果たされない日が来る気がして、どこか慌てて音也は彼女の小指を求めた。 

 すっかり夜も更けて、マスターコース寮に住まう人々も眠りに落ちたであろう時間を見計らって、まず春歌が女子寮に戻って身の回りのものを準備してからまた庭園に戻ってきて落ち合うことにする。
 男子寮は寮内に入れてしまえば行き来は簡単だ。あまりにも広すぎるせいで、普段人が通らないような謎の通路があることを最近見つけてから、こっちこっちとそこから春歌を連れて、音也は自分の部屋まで向かう。
 こうした寮内の行き来について神出鬼没なシャイニング事務所の社長のことを考えればすぐにバレるかもしれないと不安に思うこともあったけれど、さすがにプライベートな空間までは監視の目をいれていないのか、何度か二人でこうして夜から朝まで部屋に一緒にいても咎められたりバレたりするということはなかった。
 無事に音也の部屋までたどり着いて、いつも通りにあれこれと支度をはじめていくけれど一緒に寝る? と約束した通り、二人でするのは、ほとんどが寝るための準備だ。
 本音はもっと色んな話をしたかったけれど、夜更かしすること自体が音也はあまり得意ではなかった。
 夜がきたらしっかりと眠くなるし、朝がきたら身体は自然と眠りから覚める健康体だ。
 二人でちょっとした距離感を保ちながら世間話をしていると、やがて会話も途切れる。
「さあて、歯ぁ磨いて寝るかぁ~……」
 ふわぁぁ、と大きなあくびをしてから伸びをした音也のことを春歌は見て「あっ、わたしも」とほぼ反射的に口にした。
 そのふとした瞬間に見せる表情ひとつが可愛らしいなと考えながら、音也は「じゃあ寝る準備しよう」と笑いかけた。
 早乙女学園の寮は広いけれど、洗面台が二つあるわけでもない。お先にどうぞ、と譲ろうとする春歌に向けて、なんで? 一緒に歯磨きしようよと音也は彼女を自然と誘って、二人で一緒に洗面台の前に立つ。
 誰かと一緒に、二人で歯磨きをするという経験はあまりないというように少しぎこちない動作で日常生活の一つともいえる歯磨きに取り組む春歌を尻目に、音也は度々あくびを噛み殺しながら、いつも通りに歯磨きをはじめた。
 口に歯ブラシをいれているせいで、しばらくふたりとも無言でしゅこしゅこと音を立てていたけれど、音也がうがいをはじめて歯磨きを終えてから「そういえば七海、化粧品とかもう置いてけば?」と今回春歌が持ってきた身の回りのもの一式を見たからなのか、そんなことを口にする。
 まだ春歌は歯磨き中で声を出せないからか、ふぐふぐというように頷いてからうがいをはじめる。
 音也に続いて歯磨きを終えた後で、化粧品についての一言に「置いていっていいなら助かります」と返事をした。
「トキヤが置いてった……なんだろ、美容品っていうの? そういうのもたくさんあるから、それ使ってもいいんじゃないと思うけど」
「ええっ。一ノ瀬さんのを勝手に使ったらダメです」
「でもさ、こないだトキヤが紹介してた美容パックっていうのかなあ、それは興味でちゃって、トキヤがおいてたの見つけちゃったから使ってさ。そしたら次の日の朝、顔がつるつるしすぎてメイクさんから化粧ノリよすぎるって引かれたの思い出した」
「いいい、一十木くん、人のを勝手に使ったらいけません」
「だいじょうぶだいじょうぶ、トキヤに使った! 最高だった! だから新しいの用意しといたから安心してねって電話でいったら何なんですか⁉ って怒られたけど許してもらえたし」
 それは本当にトキヤにとって何なのだろうと思える出来事だったのだろうな、とその様子がなんとなく春歌にも想像ができた。
 あっはっは、と怒られた話なのになぜ一十木くんはこんなに笑ってるのだろう……という春歌の不思議だなあという視線を感じてか、「こっちきてー」と歯磨きも終えて、寝るためのラフな服装に着替えてからここへきた春歌の手首を音也は引く。
 目指すはこの部屋にある音也がいつもは一人で寝ているベッドの上だ。
 急に手を引かれてバランスを崩した春歌を支えながら、はい乗って~とベッドにあがるように伝えて自分も一緒にベッドの上に座り込む。
 春歌のことを後ろから抱きしめながら、彼女を自分の膝の上に乗せる。
 最初はドキドキしたこんな触れ合いも、まるで恋人同士みたいに自然とできるようになってしまった。
 こんなことができてしまって本当にいいのだろうか、なんてぐるぐると考え込む自分を忘れさせようと、ただ春歌のことを音也は抱き寄せる。
「七海の髪からいいにおいする」
 すんすんと鼻を鳴らしては、毛束に鼻先を突っ込んで匂いを嗅ぐ音也に、いまだに慣れないと身体を強張らせながら春歌は「それは来る前にシャワー浴びてきたからで……くすぐったい……です、やめて」と抵抗する。
「七海、本当にやめてって思ってる?」
 抵抗は感じても拒否は感じない、と音也は髪の匂いを嗅ぐのに更にスンスンと鼻を鳴らす。
「やめてって思ってます、恥ずかしいもん……」
「その割には俺からは離れないよね」
「あっ、もう、くすぐったいのは本当なのでっ……」
 じたばたと暴れる彼女を離さないというように、じゃれあいながら匂いを嗅ぐと、様々な五感が刺激される。
 彼女のことが好きだと思う感情すらも刺激されて、なんでもないこの二人きりの時間が愛しいと思うし、耳元で弾ける彼女の声色が可愛らしすぎてたまらないと昂りそうになる。
 そうなってくると、どうしてもこの願望が胸を裂くように飛び出して、させてほしいってことをお願いとおねだりしたくなる。
「七海。やっぱり俺、キスしたい……」
「キスは……」
 こんなに身体同士が触れ合ってお互いの体温だって分け合って、匂いだって嗅ぎあうし、夜から朝まで一緒にいるのにキスをしたいってお願いすると、春歌は断ってきた。
 最初に断られた時に必死に理由を聞きだしたら「キスは、お付き合いしている人としたいです」なんてことを言われて、暫くそのことばかりを考えてどうするべきか悩んだのを音也は思い出す。
 結局、付き合ってほしいとは切り出さない、音也に対するカウンターのようなものなのかもしれない。
 でもお互いにそうしたことは言い出さないのだから、お互い様なはずだ。
 春歌がずっと、この関係はいけないんだと考えていることを音也は知っている。
 友達同士だとお互いに認識して、何かがあった時に友達だから、と言い訳できるようにしたいんだってそういう思惑も見抜いていた。
 この関係を友達だなんていっても誰も信じないと音也がいくらいっても「友達だから」と彼女はそうして押し切って、アイドルとしての彼との関係は否定したいと思っているのだろう。
 それが音也のためになると、ずっと信じているからだ。
 この業界では本当に友人同士の関係なのに、なぜか勝手に恋人同士だと仕立てられてまるでそれが真実であるかのように囃し立てられていくことだってある。
 お前は一体誰なんだというような友人AとかBとかが現れて、事情通はこう語る、と誌面で面白くおかしく書きたてて、人間模様を拗らせあいながら裏切りだとか愛だとか叫びだす。
 最初からすべて狂ってるのだとしたのなら、逆に突き抜けた方がマシなのに、友達だって突き通すなんてそんなの逆に誠実じゃないよね、と音也は思う。
 ただでさえ今となっては友達と恋人の違いは何なのか、その境界線すらもわからなくなってきている。
 それを春歌だって感じているからこそ、二人の間で意味のない諍いが増えていることはわかってきているはずだ。
 春歌は作曲家として一緒に仕事をする時には、すぐに音也の意図を理解して、こうしたらどうでしょうかと限りなく答えに近いものをすぐに教えてくれた。自分の仕事に信念を持ってる人なんだなとその度に音也は考えたし、実際そうなのだろう。
 一方で、彼女は落ち込んだら音也のところにやってきて、慰めてほしいと弱みを見せてくれる一面もあった。
 最初の頃だったなら、見せてはくれなかった彼女の弱さをわけてもらえたような気がして嬉しかった。
 それが今となっては抱きしめあって身体の温もりを求めあったし、一緒に寝ようねと約束すればその約束を朝までちゃんと果たしてくれる。
 ただ、音也と違うところがあるとすれば彼女は決して音也のことを「好き」とは言わなかった。
 別に友達同士の「好き」でもよかったから言葉にして伝えて欲しいと音也が願っていること察してはいたと思う。
 でも、「好き」っていったりしたら、本気で好きになっちゃうから言わないと泣いている時に、珍しくそんな本音を教えてくれたこともあったっけ、と音也は思い出す。
 友達だってお互いのことを好きっていうし、キスくらいするよ、って押し切ってしまえばよかったのかもしれないけれど、恋人とのキスを夢見る彼女の初めてをそんな雑に奪いたくもなかった。
 奪いたくはなかったけれど、こうして彼女の身体に触れて、大好きだとそう感じてしまえば唇は本能的に彼女のことを求めてしまう。
「なんでキスはダメなの」
 我慢しすぎて頭おかしくなりそう、と大きなため息をつきながら音也が聞くと、いつも春歌はごまかした。それはずるいと音也は何度も思う。
「一十木くんはお仕事でキスする機会もあると思います……」
 ベッドの上で、彼女のことを自然に押し倒してから覆いかぶさって「どうして」と尋ねると、音也のことをただ見上げながら、春歌はそんなことを言う。
「ええっ? それでいいでしょみたいなこと思ってる?」
「……それでいいとかじゃなくて……そのほうがいいといいますか……」
「あのさ俺、七海とキスしたいの」
 本当に欲しいものはあげない、って取り上げられてるみたいだ、そんなことを音也は思う。
 無理矢理はしないってことを絶対的に信頼しているという眼差しを向ける彼女に、決して逆らえないことはわかっている。だからこそ彼女の態度はあまりにも残酷だ。
「一十木くんとキスしたら、戻れなくなりそうで」
「戻れなく?」
「わたしは今のままがいいよ……」
「もう十分戻れないところまできちゃってると思うけどなあ……」
「とにかくキスはだめです」
「おでこにしちゃだめ?」
「だめ」
「首筋は?」
「だめ」
「鎖骨」
「だめだってば」
「俺、このまま好きな女の子に一生キスができないまま死ぬの?」
「……」
 酷い質問をしたな、と音也は思ったけれど、もうしてしまったのだから引き返せない。
 質問に答えてよ、という無言の圧力で彼女に促すけれど、春歌は音也のことを見つめたまま、かつて引き起こされたスキャンダルで小耳に挟んだことを思い出す。
 ――せめて恋人が、彼に似合う相手であったならよかったのに。
 そんなファン同士の何気ないやりとりを鮮明に思い出しながら、すべてを置き換えるように考えてしまう。
 わたしはどうだろう。わたしは目の前にいる彼にふさわしい恋人になれるだろうか。
 そんなことをぐるぐると考えているうちに、ぐちゃぐちゃになってしまった考え事が、よくわからないままに言葉になって飛び出してしまう。
「……キスしたいなら、違う女の子を好きになってキスしてください」
 果たしてそれが本音なのか、そうあってほしいと願うことなのか、もうわからなかった。
 これが正しさだなんて言える自信もないはずなのに、自分の心に対しては間違いだらけの答えだってことは春歌にはわかっていた。
 少なくとも自分以外の誰かのことを音也が好きになるのであれば、彼にとって悪くなるようなことも起きないんじゃないかと、彼に愛される自信の無さからくる一言であったと思う。
 珍しく音也が表情を歪ませたのがわかって、春歌自身も緊張で身をこわばらせた。
「俺の質問もひどかったと思うけど、七海のその答えも十分ひどいな」
 最悪だ、と音也が苦々しく吐き捨てる。
 そんな音也の様子に追い討ちをかけるかのように、退いてくださいと春歌は胸のあたりに手を置いて覆いかぶさる音也から逃げようとする。
 必死な春歌を見て渋々といった様子で音也は身体を退けると、春歌は起き上がってすぐにここから出ていこうと身支度をはじめたのがわかった。
「帰るの?」
「帰ります」
「ねえ、お土産は本当に俺が選んできたやつでいいの?」
 帰るために身支度をはじめる春歌の背中にむけて音也が聞くと、彼女はただ頷いた。
 こんな酷いことを言い合っても、お土産を持って帰ってくるつもりの音也から離れられない彼女を見ていると、痛々しく見えてくる。
 くだらない友達ごっこの茶番はもうやめて、素直に気持ちをさらけ出してしまったら楽になれるのに。
 建前ばかりの積み木を積み上げてしまったせいで、本気で好きになって必死に積み上げてきたものを崩してしまったら、どうしたらいいのかわからなっているような気もした。
「あのさ、キスのことは謝るよ。七海が嫌がってるのはずっと知ってたし。でもしたくなっちゃう俺の気持ちもわかってよ」
「キスはできないです」
「うん」
 いいよそれで、もうわかったよ、と音也は取り乱す春歌のことを後ろから抱きしめる。
 彼女が苦しそうにしていたら話を聞いて、彼女が自分から逃げそうになったら、必死に抱きしめた。
 ようは求められたら受け入れて、拒否されたら引き止めていただけだ。
 わけのわからないこんな意味のない駆け引きをいくら求められても彼女のことだけは失いたくなかった。
「今日は一緒に寝よっか」
「……」
 帰ろうとしていた彼女の手を握りしめてから、もう帰ろうとするのはやめてほしいと片足に履いていた靴を脱がせてもう一度ベッドへと連れて行って、毛布の中へと誘い込む。
 こっちにおいでと身体を引き寄せて、どうしたらいいのかもうわからないといった様子で憔悴した状態の彼女の髪を音也は何度も撫ぜた。
「七海が嫌がることしようとして、ごめんね」
 音也が謝ると、春歌も同じような声色で謝った。
「わたしも一十木くんに酷いこと言いました。ごめんなさい……ごめんね……」
 小さく震える声で、嫌いにならないで、なんてすがるように春歌がかすれた声でつぶやき続ける。
 嫌いになんかならないよ、という反射的な返事をしようとして、それは正確じゃないなと音也はぼんやり思った。
 きっと、嫌いになんかなれないんだって、そっちの方がどちらかといえば今の気持ちに近い。
 恋は盲目だなんていうけれど、好き以外の感情がわからなくなってしまう、ただそれだけなのかもしれない。
 愛しいと思うし、離れがたいと思うし、そばにいたいと思う。
 ただでさえ元気がなかったから会いにきてくれたのだろうに、ますますしょんぼりとしてしまった彼女のことを、腕の中へと音也は抱きしめた。
 独りでは溺れそうな夜でも、君とこうして抱きしめ合っていれば自分がまだここにいると信じられる。
 あぁ、こんな時にキスができたらよかったのに、と春歌の身体のありとあらゆる場所を見て、匂いを感じ取るたびに、自分に許される愛情表現が少ないことを音也は恨めしく思った。

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