#7 友達
彼女はアイドルではなく、作曲家であることも含めて現場で会うことは、ほとんどなかった。
打ち合わせが必要な時には楽屋で話すことが多い。ライブ前の演出チェックやリハーサルの時に顔を見せてくれる時、新曲の用意をする時くらいしか会えなかった。
同じ寮での生活がはじまった時には彼女とも同じ建物で生活するのだ、と当時はワクワクしたけれど結局は女子寮と男子寮で別れてはいたし、仕事がはじまってみれば生活時間帯も見事なくらいにずれているといってもよかった。
だからこそ、音也は事務所で彼女を見かけた時にはチャンスだといわんばかりに誘っていたということもある。
学生の頃にはそれなりに時間もあったけれど、今となっては空いている時間を探すことの方がお互いに難しい。
そうした忙しい時間を縫って個人的な用事に彼女を誘うということは、いつしかメンバー間では抜け駆けと呼ぶようになっていたりもした。
やがて、抜け駆け禁止なんて暗黙の了解ができていたのも事実だ。
とはいえ、アイドルとして作曲家としてお互いの夢を追いかけるうちに、だんだんと気持ちは塗りつぶされて混ざってわからなくなっていっているような気もしていた。
それでも季節が巡って、春の気配に魅入られる度に、この気持ちの正体は何だったのかを知りたいと願ってしまうのかもしれない。
◇
借りていたハンカチを返したあの日から、春歌と話すということ自体が自分にとって必要なのかもと音也はそんなことを考えた。
だからこそ話す機会をもっと増やしてみようと単純に考えて、最初のうちは、事務所でバレないように、こそこそと世間話に加えて前に約束した話題について話した。
目立つように誘っちゃダメと嶺二から怒られたのだから、逆にこそこそするようになった、ただそれだけのことだ。
ところが、こそこそしているということも目ざとい先輩である寿嶺二にはお見通しだったようで、「後輩ちゃんとおとやんは本当に仲がよろしいですねぇ」と事務所に二人がきているところを見計らってなのか、様々な人が行き交う事務所内で大きな声で声をかけてきた。
その声かけに対してすぐに「一十木くんとは学生時代からの付き合いがある仲の良いお友達です。もし誤解を招いたのでしたら申し訳ありません」と事務所内でこのやりとりを聞いてる人にも届くような声量で春歌が冷静に否定したのを聞いて音也は驚いた。
なぜなら、同じ場で指摘を受けた音也自身は動揺してしまって、すぐに関係を否定するなんてことが思い浮かびすらしなかったからだ。
否定もしない動揺した一十木音也の姿を色んな人が見ている事務所内で晒してしまっていたら、どうなっていたことだろう。
春歌の方からここまで冷静に否定されるとは思わなかったのか「はあい。れいちゃんの早とちりでしたぁ!」と嶺二は場を和ませるようにして締めた。
用事を終えた春歌が先に事務所を後にしたのを確認してから、まだ居残っていた音也の首周りに腕を巻き付けて嶺二が自分の顔近くに引き寄せて、耳元で囁く。
「あのさあ、おとやん。あれは君が言うべき台詞だったんだよ」
「れいちゃん」
「好奇の目に晒されてるのは君より立場が弱い後輩ちゃんの方なんだからさ、そこはビシィッとおとやんが言うべきだと思ってチャンス作ったのに、なんで後輩ちゃんにあんなかっこよくキメられちゃってるの」
「……」
昔は春歌のことを庇って、音也の方が熱く物事を訴えることの方が確かに多かった。でもそれは二人の関係を噂されてのことではない。
確かに二人の関係について、それは違うと否定しても何もおかしくはなかった。それが今のところ事実だったからだ。
二人の関係は友人同士だ。それに間違いはない。それでも、そのことを自分の口から春歌がいるところで、はっきり言うことがどうしてもできなくて、嶺二から受けた特別指導の時と同じように音也は口ごもってしまった。
「君たちの関係に温度差があるのは何となくわかってたけどさ」
ふむ、と何も言わなくなる音也に対して嶺二は、思案したような表情を浮かべる。
「自分の気持ちに正直になれなくなるくらいに、おとやんも大人の階段上りはじめたってことなのかな」
それがいいことなのか悪いことなのかは知らない、というように不敵な笑みを見せながら、嶺二は抱き寄せていた音也を解放して「じゃあね」と一言を残して自分もその場を立ち去っていった。
◇
そうした事務所での嶺二とのやりとりをきっかけにしてからなのか音也と「友達」であるという関係そのものに春歌は固執しはじめているようにも音也には見えた。
定期的に詮索してくるような人には「友達です」と言っていたようだし、あまりにしつこくされると友達以上の恋人に至ることはないと可能性そのもの自体を否定していたようだった。
それが本意なのか、はたまたそうしなければならないという義務からなのか、そうした真意はやりとりからは見えてこないけれど音也まで伝わってくる話は大体そんなところだ。
一方の音也は、七海春歌という個人との関係についてを直接詮索されることは滅多になかった。
稀に仕事で知り合った芸能関係者から「七海さんとはどうなの?」と冗談交じりに聞かれることはあっても「なんもないよー」と笑って応えるまでがワンセットという調子だ。
アイドルとしての仕事を続ければ「恋人」の話をすることはあってもそれはファンのことであって、特定個人の誰かのことを話すことは決してない。
もし恋人がいたらこんなことをするよ、なんてシチュエーションに倣ったインタビューの中では変わらず甘い言葉ばかりを囁いた。
けれど、その対象に彼女がなることはないのだと、春歌が冷静に関係を否定したあの日から、そのことについて考え込むことが音也は以前よりも増えた。
それでもお互いの関係にそれ以上はないと否定と暗黙を続けているにも関わらず、仲の良さは変わらない。
音也が話したいと声をかければ春歌は応じたし、春歌が困った時に頼る相手として音也に自然と声をかけた。
関係を疑われたとして、距離置いて離れることができない時点で、お互いの気持ちが何を示すのか答えはおのずと見えてくるのに、あえてあやふやにしておくことで繋がりを求めてるようにも見えた。
そして、そんな二人の関係が友達であることが強調されればされるほどに彼女との距離を感じるようになった音也は、二人きりになれる時間を強く望むようになった。
二人きりで会える場所はないか、色々と考えた末に思いついたその場所は今考えれば盲点だったかもしれない。
何しろ広大な私有地を持つ、シャイニング事務所のマスターコース寮というものがある。
木を隠すなら森なんて言葉があるけれど、外が危険なら内にいた方がまだマシという音也の考えだ。
広がる大地に解き放たれた牛や羊などの動物たちが歩く中、水辺近くに整備された庭園は、夜遅くに二人で内緒で会うにはうってつけの場所だった。
お互いのスケジュールを共有しあって、夜になったら「話をしよう」「ここで待ってるね」と短いやりとりだけをして、暗闇に沈んで人の気配がしない庭園でこっそりと二人で会った。
「あ~……。今回のは長いねぇ~……」
「うん……」
彼女の細い腕が、ぐるりと腰に巻き付く。
弱いなりにだけれど柔らかい彼女の身体に自分の肉体が引き寄せられて、これ以上触れ合ったら我慢できなくなりそうだ、と音也は唸った。
困ることがあったら、俺のことを抱きしめてもいいよ、とそんな話をしたのはいつの日だったか。
長いと形容したのは、彼女が音也のことを抱きしめる時間のことだ。
「今回の仕事も大変そう?」
この日も二人で予定を合わせて、夜遅くに庭園でこっそりと落ち合った。
昨日から続いていた雨はようやくあがり、いつも手入れが行き届いている庭園で生い茂る草木も濡れているのがよくわかる。
低木の並びに囲まれて、小さな明かりだけで保たれているこの静かな場所はちょうど寮のどの位置からみても死角になっていることを音也は調べて知っていた。
だからこうして、春歌に腰回りにしがみつかれていたとしても、そんな様子を見つけられる人はいないはずだ。
まだ抱きしめていたいという春歌の強い意思を感じながらも音也が頭を優しく撫でると、「仕事、大変です……」とか細い小さな声で春歌が呟いた。
「わたし、今まで出会ってきた人たちは優しい人ばかりだったし、最初はダメでも理解り合える努力をすれば、その人がどんな人なのかわかると思ってたんです」
春歌にとって早乙女学園で出会った人々は個性に溢れすぎる様々な魅力を持つ人物ばかりだった。
そうした人々と音楽を通じて夢を追いかけてきた彼女だったけれど、早乙女学園からシャイニング事務所への所属となり、夢や才能だけでは押しきれない現実の残酷さや、理解し合おうと歩み寄ろうとしても中々うまくいかないということが多々あった。
どれだけ経験を積み重ねていっても、そうした事が起きる時は起きるし、問題が積み重なる度に春歌は自分自身の問題だから、とその問題に一人だけで向き合うことが多かった。
それが音也と話す時間が増えてからは、春歌は弱さを以前よりも見せてくれてるんじゃないかと思うようになった。
最初は音也が大丈夫? と聞けば、すぐに大丈夫と返して、それでおしまいだったのに、あまりにも辛そうに見えた彼女をつい抱き寄せて「無理しちゃダメだよ」と声をかけてからは、どう思っているかをようやく聞かせてくれるという機会が増えた。
「曲作りをしてる時も、これで合っているのか悩んでしまうことが増えて……」
「俺はね~、七海の曲がすご~く大好きだよ! 元気がでるもん」
「そう言ってくれるのは、一十木くんだけかもしれません……」
「え? そんなわけないでしょ」
あぁこれは重症だ、と音也は笑ってはいけないとわかっているけれど苦笑いをしてしまう。
初めて一緒に曲を作った時に、知らない彼女のことをたくさん知れたと考えていたけれど、現在はもっと彼女の深くて柔らかい場所に手が伸びて触れそうになっている気がしている。
こうして二人だけの時に春歌が聞かせてくれる話に耳を傾けると、締切が近い時にはすごくナーバスなことも言う人だということを初めて知った。
さらに提出した曲が、けちょんけちょんにされて差し戻しをされた時には落ち込んで悲しんだり、怒ったりもする、今まで音也が知ることもなかった春歌の姿をたくさん知れた。
あっという間に曲を作って、あらゆる人々を感動させて、虜にしてしまう天才作曲家。
それだけの人ではないのだと、そうした人間らしい感情を何度も教えてもらっては音也はその姿をたまらなく愛しいと思う。
作業に没頭すれば過集中気味なところが多くて、睡眠が少なめになっているせいで遅刻をしたりもするのを知った時には、なんだ遅刻するのって俺だけじゃないんだ、とホッとしたものだ。
それにしても、今日の春歌はとくにだめそうだった。
最近よく一緒に仕事をしているとあるプロデューサーに自尊心を打ち砕かれすぎて、プロとは何なのか、大衆に求められる音楽とは何なのか、自分が好きだと感じた音楽とは何だったのかなんていう複雑な領域へと片足を突っ込みつつも「一十木くん……」と音也のことを呼んではめそめそした。
こんな時に効果てきめんなのは、抱きしめてあげることよりも、抱きしめさせることなんじゃないかな、と音也は過去に何度も春歌のことを抱きしめた経験からそんなことに気づいた。
相手のことを抱きしめたいと思うのは、相手に心を許す行為にもどこか似ていると思っていたからだ。
今の春歌にとって必要なのは、もっと誰かに心を許して話して、気持ちを楽にすることなんじゃないのかなと春歌の話を聞くたびに音也はそう感じていたからこそ、抱きしめてほしいとそれを願った。
とはいえ、最初の頃に「俺のことを抱きしめてごらん?」と、ほら~と両手を広げても春歌は「えっ、大丈夫です」と他人行儀に断って、飛び込んでもこなかった。
それでも落ち込んだ彼女を慰めるのに、こっちにおいでと声かけを続けることで、段々と小さな手が音也のシャツを握りしめたかと思えば、春歌の額が音也のお腹のあたりに触れるようになった。
彼女の背中に手で触れて、よしよしと子供をあやすように何度も撫でると、いつの間にか彼女の両腕が音也の腰回りに巻き付いて、ようやく抱きしめてくれるようになっていた。
そして、今夜の彼女はだいぶ参っていたのか抱きしめてくる時間が長かった。
話を一通り聞き終えてから、思いついたことがあった音也は彼女の細い腕を手に取る。
腰に回していた腕を外された春歌は「?」というように不思議そうに音也のことを見上げた。
「ねえ、七海。ちょっと踊ろうよ」
「お、お、おどるっ?」
鳩が豆鉄砲を食らうとはよくいうけれど、まさしくそんな表情をした春歌を見て音也はにっこりと笑った。
「俺、最近覚えたダンスのステップがあるんだ。二人で手を繋いで踊るから楽しいよ」
リズムを取るのに音楽が必要なら歌おう、と音也は声を抑え気味にしつつ、今思いついたメロディを適当にハミングしながら「ほら、七海こんなふうに踏んでみて」と自分の足先に視線を落とす音也につられるように春歌も目線を移動させる。
「こ、こう……?」
「そうそう! いいね、じゃあもう一回。あぁ、あそこに水たまりがあるね。あれを避けるようにしてステップを踏むといいかも」
ほらほらっ、と音也が昨日降った雨で地面にできていた水たまりを上手く避けながら小刻みにステップを続ける。
普段からダンスに慣れた音也の動きを目で追うのは春歌には難しかったけれど、水たまりの隙間でリズムよく踊る音也は本当に楽しそうだった。
一方でやはりダンスをすることなんてなかった春歌にとってみれば動きを真似しようと試みるだけでも無様な姿になっているのがなんとなくでもわかって、続けるのが苦しくなる。
うまくステップを踏めない自分に苛立ちつつ、音也のようにスムーズに踊れるなら、楽しいのは当たり前かもしれないとそんな恨めしいことを春歌は考えてしまう。
それでも音也は「七海、もう途中までのステップ踏めてる」とあがる吐息を抑えながら、少しずつ踊りだす春歌を自分のことのように嬉しそうに褒めた。
ダンスなんかできない、と戸惑った瞳を見せていた春歌が教えてもらったステップの一つ、二つを踏めるようになる度に音也は「七海、すっげえいいねっ!」と何度も褒め続ける。
春歌がバランスを崩しそうになれば、繋いでいた手に力をいれて音也が支える。
調子に乗った音也が水たまり間際で足を滑らせそうにあれば、春歌が力の限りで音也のことを引っ張って転ばないようにと身体を支えた。
「あはは、七海のおかげで転ばずにすんだっ」
七海は俺の命の恩人だね、なんて大げさなことを音也は口にしながら、じゃあ教えたステップを最初から踏んでみようと春歌を誘う。
コクコク、と緊張気味の表情で無言のまま頷く春歌の両手をお互い転ばないようにと指の隙間をしっかり縫うようにしながら繋ぐ。
ここでステップを踏んで、とお互いに顔を見合わせながら同じリズムを刻む。
少しぬかるんだままの足元に気を取られることもあったけれど、音也が「ここで一回転」と春歌の手を取って教えてもいないような動きをアドリブで促すようにすると、どうしたらいいんだろうと戸惑ったままでも春歌がなんとなくでくるりと回る。
「すげぇいいっ、今の七海、かっこよかった」
それ最高、というように音也は指差すようなジェスチャーをしながら「じゃあ俺もここで回って~」とくるくる回って春歌と鉢合わせるようにしてから目を合わせて、にっこりしながら「はいダンスおしまいっ」と笑った。
はぁはぁ、と肩で息する春歌と、全く息が乱れていないまま、楽しかったねえと頷く音也の対比を見れば普段の運動量の違いが見えてくる。
「い、一十木くん、急に、ダンス……はぁはぁ……」
「あ~、七海っ。落ち着いて、深呼吸して。急に喋らなくていいから。あっ、水飲む?」
俺の飲みかけだけど、といいかけながら差し出したペットボトルの水に飛びつくように春歌の「飲みますっ」という声が被さる。
ペットボトルの水を音也の手から連れ去っていくと飲み口に唇をつけて、中身をこれでもかと言わんばかりに春歌が飲み干していく。
差し出した水を飲むのに、春歌が鳴らす喉の動きに見惚れるように音也はなぜか見入ってしまっていた。
暫くして彼女から流れる汗が顎先を伝って落ちて、鎖骨のカーブを滑ってから谷間に消えていくのを見てから、あまりにも見つめ続けている自分に気づいて慌てて目を逸した。
「ごめんなさい、一十木くんの水、全部飲んじゃった……」
「いいよ気にしなくて、水分補給大切だもん。たくさん汗かいちゃったね」
ええとー、と言いつつ音也は肩からかけていたボディバッグから猫のモチーフが入ったハンカチを出すと、春歌の額あたりに当てる。
「あっ。大丈夫だよ、わたし、自分のハンカチあるから」
持ってきてます、とポケットの中からひまわりのモチーフが入ったハンカチを手にとって、春歌は大丈夫ですので~、となぜか腰は低めの態度で汗を拭き取ってくれていた彼の手を阻む。
「汗、ちゃんと拭かないと風邪引いちゃうかもだからさー」
春歌に行く手を阻まれて行き場を失くした手をぶらぶらさせながら、ちゃんと拭こうねと心配そうに音也は声をかけた。
「わかりました……! 汗、ちゃんと拭きます……」
ふう~と息を整えながら言われたとおりに春歌が丁寧に拭き取っていくのを見て音也も安心したようにうん、と頷いた。
近くにあるベンチの方へと音也は春歌を呼び寄せて、座ってしばらく休憩しようと隣同士でベンチに腰かける。
「あぁ、動いたから余計なのかな。雨上がりの匂いがすごくする」
すんすんと音也の鼻を鳴らす音が春歌に聞こえた。
「確かに、最初はあまり感じなかったのに土なのかな、草なのかな……水なのかな、色んな匂いがするね」
「俺、この匂いすごく好き~。自然って感じがするじゃん」
「自然」
なんてわかりやすい漢字二文字なのだろう、と春歌が感心したように音也を見た。
「あとなんか懐かしいってかんじ? 子供の頃はこういう匂いに敏感だった気がするけど、今みたいに七海と話をしなくちゃ雨の匂いなんて気にしなかった気がする」
「言われてみればそうかも」
春歌はたしかに、と頷きつつ、ようやく息も整ってばくばく動いていた心臓が落ち着いてきたのを身体の感覚で確認してから、「どうして急にダンスを……?」と音也に尋ねた。
「ん~? なんか急に七海と踊りたくなっちゃったんだよね」
「そんな急に?」
「あとはね~、七海と手が繋ぎたかったんだ」
えへへ、といたずらっ子が種明かしをするような表情で音也が照れくさそうに笑っていると、それを知った春歌は「ええ」と声をあげてから、様子がおかしくなってしまった。
「はっ。そういえば手……繋ぎ……ツナツナ……ツナ……」
「ツナ?」
まだ息あがってる? と音也がツナしか言わなくなる春歌を本気で心配しはじめると、本気で心配されることが恥ずかしくなったのだろう春歌が「いえええ大丈夫ですのでっ」と気にしないでと声をあげた。
「あ~……手ぇ繋ぐの嫌だった? 最近抱きしめてくれること多いから大丈夫かなと思って……」
身体の接触が増えていたから、調子に乗って触れ合うところを増やしてごめん、と音也が素直にごめんなさいと謝ると、春歌は「いえええええ」という動揺で震えた声色での返事を続けた。
「手を繋ぐのは全然、へいき……いえ、へいきではないです、え? 平気ではないです、ドキドキする、ドキドキするから」
「うん、うんうん。七海、わかったから落ち着いて」
春歌を落ち着かせながら、そっかそっか、と彼女の動揺にあわせて音也は何度も頷いた。
「えっと、一十木くんにぎゅってするのも緊張はしてるから慣れていたわけではなく……手は……手は、あの、一十木くんの手が温かいな、とか、掌の大きさ全然違うとか、握ってもらったときの力の強さとか、握ってると汗かいちゃってきてるけど、平気かな、嫌じゃないかな、滑っちゃいそうだな、とか、あのあのあの、たくさんたくさん考えてしまって……」
「あー……うん」
こんなに恥ずかしくて、緊張しながら話しているのは自分だけと思って、春歌は必死に気持ちを言葉にしていた。
音也はなんでもないような顔をずっとしていたから、平気だろうと思っていたのに、いつの間にか彼の耳が赤く染まっていってることに春歌は気づいた。
「俺もね、思ったよ。七海の手、小さいな、とか。俺よりも指がすごく細くて、力入れたら折れちゃいそうだから怖いな、とか。掌もそうだけど手首もすげぇ細くて引っ張ったらどうなっちゃうのか心配になったし。あと汗、汗は俺もかいてたと思うからっ、嫌じゃなかったしっ、あああ~~だから~~もぉぉ~~」
うわぁすげぇ恥ずかしい、なんでだ~~~となぜか助けて、というように困った表情で自分のことを見つめてくる音也に春歌はどうしようもできないよっ、と無言で応える。
「だから、俺は手を繋ぎたかったんだけど、七海とおんなじですごく緊張してたよ。それで、七海の手はすっごく柔らかくて気持ちよかったから、できたらまた繋ぎたいよ……」
「ま、また繋ぐ……?」
「今、話してるだけの時とかでも、繋いでたいとか思っちゃう」
「ダダダンスの時は必要だから繋いでたのではっ……」
「七海は理由がなければ手は繋ぎたくない?」
手を繋ぐのには理由が必要? と音也が首を傾げて、ねぇお願いと手を伸ばしてきたのを見て春歌は、その手を取るか取るまいか迷う仕草を見せながらも、ゆっくりと音也の手を取った。
「やったー。七海、俺と手を繋いでくれてありがとう! すげぇ嬉しい超嬉しい~」
「一十木くん、段々と声が大きくなってしまってるかも……」
「あぁごめん、興奮しちゃってつい。頑張って静かにするね」
繋いだ手をゆらゆらと揺らしてから、言われたことは十分気をつけるね、と音也が頷いたのを見て、わたしも気をつけますと春歌も頷く。
それからしばらく、お互いの手を握りしめあっているという緊張もあってか二人して押し黙ってしまったことで、虫の鳴き声や庭園近くを流れる川のせせらぎばかりが聞こえてくる。
「……一十木くん」
そうした心地よい音色の沈黙を自分の声かけで邪魔するのは心苦しかったけれど、伝えたいことがどうしてもあって春歌は隣にいる音也に声をかけた。
「ん?」
なあに、と声だけではなく繋いだ手に少し力をいれて音也は返事をする。
「あの、今日は、一緒に踊ってくれてありがとう。仕事のことでずっと悩んでたけど、一十木くんと踊ったら、元気でてきました」
「あぁ、うん! 俺も七海と踊って楽しかったよ。また踊ろうな」
「また!?」
どうしよう、踊れるかな!? と焦った様子の春歌を見ても、音也はもう次のことを考えているというように笑うだけだった。
「次はどんなのを二人で踊ろうかなぁ~」
考え込むような仕草をしながら、夜空を見上げた音也につられるようにして、春歌も同じく夜空を見上げた。
火照った身体が冷めていく体温の変化と、雨上がりの匂いを感じながら、不慣れな仕草のままで、手を繋ぎ続けた。
何かを話さなければ、話題がなければ一緒にいる理由が見つけられないなんて考えていたけれど、ただこうしてそばにいるだけで、心地よかった。
きっと理由はなくても手は繋ぐのだろうし、無言のままでも二人でいることもあるのだろうと、こうして流れるだけの時間があることを初めて知った。

たかさか
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